2018/2/4
「少女よ、起きなさい」 ー降誕節第6主日礼拝ー
マルコ福音書5:35〜43
牧師 古屋 治雄
◇会堂長ヤイロの娘が死にかかっていることをお聞きになり主イエスはさっそくその家に向かわれました。ところがその途中で、12年間病気で苦しんでいた女性が群衆の中に紛れ込んで主イエスの服に触れ、癒やされました。主イエスは、その女性にはっきり語りかけてくださり神様の救いに生きる者としてくださいました。
◇35節をみるとまさにそのような時、家から使いの者たちがやってきて「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう」とヤイロに告げたのです。
◇ヤイロが瀕死の娘のいる家を離れて主イエスのところに出かけたことには大きな決断があったことでしょう。周囲の人たちの中にはユダヤ社会の中で指導的な立場にあるヤイロが、なり振り構わず主イエスのところに出向いたことに反対した人もいたと思われます。駆けつけた人たちのこの言葉は、ヤイロにとっては恐れていた娘の死を聞かなければならない絶望に加え、主イエスに頼る決断をしたことを責められている言葉として聞かなければなりませんでした。
◇主イエスはこの言葉を「そばで聞いて」おられました。すべてを投げ打ってご自分に助けを求めてきた者が、そんなことをしてもむだだったではないか、と言われているのです。しかし主イエスはここで私たちには言うことのできない言葉を絶望の淵に立っているヤイロに言われました。「恐れることはない。ただ信じなさい」(36節)と。また家に着いて「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」(39節)と。
◇私たちは、死に直面したなら、甘んじてその現実を受け入れることしかできません。人は死の現実を変える働きをすることはできないのです。しかし主イエスはここで、ペトロたち弟子三人と両親だけを娘のところに呼び「タリタ、クム」(少女よ、起きなさい)と、死の絶望に取り込まれている者たちに主イエスに結ばれて神の命に生きる望みを現してくださいました。
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