礼拝説教

2018/2/11

「故郷の人々の不信仰」  -創立記念礼拝-

マルコ福音書6:1〜6a
  牧師 古屋 治雄 

◇本日2月11日は丁度阿佐ヶ谷教会の創立記念日で、94周年目の主日を迎えて記念礼拝をお捧げしています。主イエスがお示しくださった福音に私たち自らが生き、世の人々に福音を証ししていくことにはいつの時代も喜びと同時に困難が伴います。そもそも主イエスが弟子たちを集めて初めの宣教をなさった時もめざましい伝道の成果が生まれたことは確かですが、困難がなかったわけではありません。今日御言葉として示されている故郷ナザレでの出来事はご自身が精力的なお働きを発揮されたのですが、多くの困難に直面されたことが伝えられています。

◇ここでは主イエスが実際どういう言葉で宣教されたか伝えられていませんが、この福音書の冒頭での「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1:14)との主イエスの言葉が思い起こされます。

◇主イエスの福音の宣言は、決して人間の発想から導き出されることはありません。それゆえ自分たちの発想や経験から推し量ることができないことを受け入れることができないのです。そのことが主イエスの宣教された福音が、主イエスの小さいときからのことを知っている人々にとってはなぞであり、またつまずきになってしまったのです。人間の知恵を超えて呼びかけられる福音にどのような反応が生まれてくるかというと、理解し得ないゆえに反発拒絶が生まれるか、または人間の力を超えて神が働いてくださることを感謝して信じていくか、この二つになってきます。

◇主イエスは故郷の人々のここでの反発をご自身の中に受け止めておられます。主イエスはここで故郷での伝道の最終的な結論を出しておられるのではありません。主イエスが私たちと同じ人として、ご自身の人間性をもって福音を宣べ伝え、その歩みは十字架の歩みへと到達するのです。私たちは、拒絶する者すべてをなお福音に生きる者へと変えてくださる主イエスの力が十字架への歩みの中にはっきり見ることができます。
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