2018/3/4
「強大に見える世の力の矛盾と弱さ」 -受難節第三主日礼拝-
マルコによる福音書6:14〜29
牧師 古屋 治雄
◇きょうの聖書箇所には、主イエスの宣教を一般の人々ではなく、ヘロデ王(ヘロデ・アグリッパ)がどのように受けとめたのかが伝えられています。16節をみるとヘロデ王は、主イエスのことを「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と受けとめました。洗礼者ヨハネは、主イエスに先立って人々に悔い改めを宣べ伝えました。それに対して主イエスは、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1:14)と宣言され、私たちがすでに神様の新しいご支配の中に生かされていることを人々の中に現してくださいました。
◇どうしてヘロデ王の中で、自分が首をはねたヨハネと新しい伝道を開始した主イエスとが結びついたのでしょうか。それは、主イエスによって開始された宣教が、単に人々の困窮を改善する奇跡的な働きを展開されたのではなく、新しく神の恵みに生きる者とされていることを現してくださったからです。
◇当時の一般の民衆は、やがて終わりの時が到来し、すべての人が神様の裁きの前に呼び出されて、審判を受けなければならないという信仰をもっていました。そのことが洗礼者ヨハネによって始まっていると受けとめたのです。しかしこのヨハネは無残にもこのヘロデによって殺害されてしまいました。17節以降にどういういきさつでヨハネが殺されてしまったかが伝えられています。神の前に正しく生きよ、神から離れてしまっていることに気づき、神に立ち返れと呼びかけたヨハネが、権力者の横暴によって抹殺されたことに私たちは怒りを覚えます。
◇しかし主イエスはすでに1:14節で宣教の第一声を宣べられましたが、それは「ヨハネが捕らえられた後」のことでした。主イエスの宣教は悔い改めを宣べたヨハネの働きを受け継ぎ、ヨハネよりも鋭い悔い改めへとみちびく力をもっています。ヘロデ王はその力の前に曝されているのです。私たちがヘロデのようではなく、悔い改めへと導かれることはなんと幸いなことでしょう。
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