2018/5/6
「主イエスの目に映る現代社会」
マルコによる福音書7:1〜13
牧師 古屋 治雄
◇イエス様は、新しい恵みの御支配をお語りになり、目に見える形でそれを表されました。イエス様に召された弟子たちもいつのまにか変えられていきました。今日の箇所はそのことを具体的に伝えています。
◇イエス様の弟子たちの中に、「汚れた手、つまり洗わない手」で食事をする者たちがいました。そもそもイエス様ご自身が食事の前の清めを問題になさらなかったのであり、共に行動してきた弟子たちも生活習慣が変えられてきたのです。けれども、それは、ファリサイ派や律法学者たちにとっては、無視できないものであり、彼らはイエス様を糾弾しました。
◇イエス様は、厳しい言葉で、彼らにお答えになりました。イザヤ書を引用され、彼らは本当には神さまを敬っていないと、彼らの偽善を、鋭く指摘されたのです。
◇続いて、イエス様は「父と母を敬え」という十戒の言葉を引用され、当時のユダヤ社会に蔓延していた問題を指摘されました。「コルバン」という言葉は、本来は、「神への供え物」を意味しました。けれども、本当に神様に供え物をするためではなく、父母を敬い、扶養する責任を逃れるために、この言葉を使う人たちがいたのです。神様を本当には大事にしていない当時の社会をイエス様は鋭く見ておられました。
◇詩編119編が歌うように、律法は、本当は、神様が私たちを愛するがゆえに与えてくださった恵みの御言葉です。人をしばるものさしではなく、神さまとの密接なつながりの中で喜んで受け止め応答するものなのです。
◇私たちは、神さまの恵みにふさわしい生き方をしているでしょうか。私たちの生活習慣を見て、教会に行ってみようという人々が生まれてくるよう証し人として私たちは立てられています。現代の社会の中で、神様に愛されているということ、御言葉を大事にしているということを、生活の中で現すものでありたいと思います。
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