2018/5/20
「生きる力を告げるペトロの言葉」
使徒言行録2:22〜24
牧師 古屋 治雄
◇私たちの教会に聖霊が確かに注がれています。本日、それが見える形となって、洗礼式が行われました。私たちがここに集められていることも、信仰者の歩みが続けられるのも、偶然ではなく聖霊の恵みによるものです。
◇主は復活後40日間共におられ、見ることができなくなっても、不安になる弟子たちはいませんでした。そして約束通り、50日目に集まっているところに聖霊が下りました。この日の不思議な出来事に注目するのではなく、ペトロが自分の言葉で語り出したことが重要です。
◇この説教は、ペトロが聞いている者たちを告発しているかのように聞こえます。「あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。」「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
◇そのペトロが、「わたしたちは皆、そのことの証人です」と言うとき、自分たちが主イエスを捨ててしまったことを棚に上げて言っているわけではありません。ここには復活の主の前に罪が赦されていることを畏れをもって受けとめている弟子たちがいます。
◇クリスマスやイースターと違って、ペンテコステは目に見えるかたちではイエス様が中心になってはいません。主の復活の出来事は、その事実がどのように確認できるかという論理ではその真理に迫ることができません。ペトロは畏れと喜びをもって主を証しし、証しされている主御自身が生きておられ一緒にいてくださる事実を身を以て経験しました。私たちが証しする言葉その中にも主は生きて働いておられます。
◇ペトロの説教を耳にした者たちは、反感を持つのではなく、悔い改めの心が与えられました。こんな生き方で良いのか、と。聖霊の導きを受けると、私たちは悔い改めに至る道、神に立ち返る道に導かれます。教会にはその言葉が与えられています。
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