礼拝説教

2018/8/19

「へりくだる神」ー聖霊降臨節第14主日礼拝ー

フィリピの信徒への手紙2:1〜11
 伝道師 江原有輝子
 

◇8月は戦争を思う時。私たちはなぜ戦争をするのか。今日の聖書個所は私たちが平和を造り出そうと願う時に、その方向を示してくれる。

◇利己心と虚栄心とは人より自分が上だと主張する生き方。それは他国より上でありたい、広い領土を持ちたいと際限なく高じていく。利己心と虚栄心が私たちを戦争に導いていく。

◇私たちは教会に招かれ、自分は自分を救えない無力な者で、ただキリストの恵みによって生きていると知った。その私たちがキリストの恵みに満たされて輝く。兄弟姉妹を見下すとは彼らのキリストの恵みを見下すことだ。キリストはこの兄弟姉妹のために死なれたと心の底から理解する時、私たちは「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考える」交わりの中へと入れられる。それは、この世と異なる全く新しい生き方だ。

◇パウロはキリスト・イエスに現れたへりくだりを勧める。天からこの世に降り、極貧の裡に無力な赤ん坊として生まれ、罪人と同様に洗礼を受けて悪魔の誘惑にあい、苦しみ悶えてゲッセマネの園で祈る姿、これが神と等しい方が人間となられたへりくだりの姿である。

◇御子は御心に従って恥と苦しみの十字架へのご受難を歩み通され、最低の所に下られた。このへりくだりはただ神の子だけができる。罪人の自分が神様にそれほどに愛され、救われ、生かされているゆえに、私たちはへりくだる神であるキリストに従って生きる。

◇高く上げられ天の支配者の地位に着かれたキリストに、神はあらゆる名にまさる名を与えられた。私たちが救われるべき名はただ「主イエス・キリスト」の名だけである。全宇宙が集まる壮大な礼拝で、宇宙的勢力がイエスのみ名にひざまずき「イエス・キリストは主である」と告白し、私たちは地上の礼拝で共に天におられるキリストを証する。

◇私たちが、へりくだってこの世に生まれ十字架上で死なれた方を主と告白し、兄弟姉妹と共に神を礼拝する時、来るべき天の国を既に味わっている。

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