礼拝説教

2018/9/09

「自分自身の内に塩を持ちなさい」

マルコによる福音書9:42〜49
 牧師 古屋 治雄
 

◇阿佐ヶ谷教会では、来週のシオン会修養会のように、部会ごとに修養会が行われています。週毎に宣教の言葉を聴くほか、学ぶことが教会生活を深めています。教会の三つの柱として、伝道、教育、社会が考えられますが、阿佐ヶ谷教会では、教育は部会毎の働きとして受け止めています。

◇イエス様は、宣教と弟子の教育を大切にされました。例えば4章で、神の国の譬えの説明を弟子たちだけに教えました。

◇弟子たちは、イエス様の受難予告を受け止められなくて、だれが一番偉いのかといった話になってしまいます。これに対してイエス様は、仕える者になることを示されました。また、ヨハネに対して、「逆らわない者は味方」(9:40)と語られた続きが今日の箇所です。弟子たちに対して特別に厳しい内容です(9:42)。

◇躓きは重大なことです。人を躓かせることは正当化できません。神の恵みの支配の中に導かれることが大切です。生命に与って神の国に入るはずの人を、阻み、滅ぼすことなどはあってはならないことです。また、手、足、目について、躓きを与えることのないようにと続いています。

◇ある神学者によれば、語る必要はあっても、神について語ることはできません。招詞(ヤコブ3:1)は、み言葉に立つ者には重いです。

◇語るべきこと、しかし語り得ないこと。ならば神に栄光を帰すことです。イエスキリストを見上げることです。人には責任がとれません。それを主が取られたのです。イエス様は厳しい言葉を与えられましたが、マタイ福音書の最後(28:19-20)で、弟子たちの働きを全うするように、弟子たちに呼びかけられています。この呼びかけの中で、生かされているのです。

◇マルコ9:49の火とは、神の裁きのことです。これによって塩が与えられます。塩によって、和ませる者、和解を伝える者、契約を運ぶ者とされます。自分自身の内に塩を持たせて頂きましょう。

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