礼拝説教

2018/9/23

「喜びなさい」

フィリピの信徒への手紙2:12〜18
 伝道師 江原有輝子
 

◇先週、二人の兄弟姉妹が神様の御許に召された。葬儀でフィリピ書4:4が読まれ、悲しみの最中に、逝去者が私たちに「主において常に喜びなさい」と呼びかけた。パウロも自分の死を予感しつつ「わたしと一緒に喜びなさい」とフィリピ教会に呼びかける。自分の死の時に「わたしは喜びます」と言い、愛する人々に「喜びなさい」と呼びかける。なぜ教会ではそのようなことが起こるのか。

◇受洗の時、古い自分は主と共に十字架上で死に主と共に葬られた。主と共に死んだ私たちは主と共に生きる。罪に対して死んでいる私たちは、キリストに結ばれて神に対して生きる者とされた。キリストの福音は、キリストが私たちを罪と死から解放し、永遠の命に与る者とされたと告げる。

◇パウロは福音宣教に命を献げ、「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています」(フィリピ3:8)と言う。キリストに出会った時私たちの人生にも大転換が訪れた。

◇主による価値観の逆転の一つ、山上の説教では、主ご自身が「悲しむ人々は幸いである」と語られ、「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。」(マタイ5章)と言われる。

◇罪人だった私たちのためにキリストが死なれ、死に打ち勝たれた。豊かであった主が貧しくなられ、主の貧しさによって私たちは豊かになった。

◇人間の独立や意志が尊重される時代に、自分を神様に明け渡してその意志に従い、自分の中で神様に働いていただくことはとても難しい。が、不完全な人間が神になる時、人は不幸になる。

◇塵に返る土の器が、内なるキリストの福音よって星のように輝き、「生きているのはもはやわたしではありません。キリストがわたしのうちに生きておられるのです」と高らかに主を賛美する。

◇主は「生きていて私を信じる者はだれも、決して死ぬことはない」と言われる。主によって信仰に生きる者とされた私たちにパウロは告げる、「喜びなさい!わたしと一緒に喜びなさい!」と。

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