2018/10/14
「収穫の主に願いなさい」 − 神学校日・伝道献身者奨励日礼拝ー
マタイによる福音書9:35〜38
東京神学大学理事長 伊藤 瑞男先生
◇この聖書の箇所はイエスがガリラヤを残らず回った初期伝道のまとめである。これは、新しい「教え」、神の国へ招く御国の「福音」、病、患いを、言葉ではなく行いとして癒やされたことの三点である。
◇イエスは最初会堂で話されたが、会堂の外にいる群衆にも話された。この群衆は低い身分の貧しい人達で普段会堂内の礼拝に出席出来ない人々だったと思われるが、イエスはこの人々を憐れまれ、なんとか救いたいと願われた。収穫のために働き手を送って下さるように願っておられるが、収穫とはこの群衆のことである。イエスにはこの会堂の外にいる群衆が、刈り入れを待つ大きな実り、畑と写る。ここにイエスの幻がある。
◇イエスのここでの助けは物質的助けであって霊的助けではない。教会が物質的助けをしようとすると十分には出来ず、医療や政治の問題だとの声も上がるだろう。確かに教会の力は十分でないが、イエスが癒やしたのも一部の人、癒やされたのも一時のこと、食事を与えたのも一時のことである。これにより助けられた人達は立ち上がり歩き始めた。もっと大きな真の救いの始まりである。多くの人がこれを見て心動かされ事態全体を変えてゆく。
◇教会に求められた働きは一時的、部分的でよい。教会は臨機応変の強さ、ネットワークによる横のつながりを通して潜在的力、イエスの憐れみの模範を持っており、この可能性を知らなければならない。
◇東日本大震災後、日本キリスト教団はボランティアを送ったが、当初、警戒され、受け入れを拒否されたことがある。伝道はしないが開始と終了の祈りだけはさせてほしいとして活動し、5年後には感謝された。このことが種まきとなった。また五千人以上のボランティアがこれに参加したが、この中から霊的インパクトを受けた人々、献身者も与えられた。
◇収穫は多いが働き手は少ないと言うのは真実と悟った。働き手を求めて祈る時、「あなたも働き人となりなさい」という声がかかるのではないか。
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