礼拝説教

2018/11/25ー降誕前第5主日礼拝ー

「キリストを知ることのあまりのすばらしさ」

フィリピの信徒への手紙3:1〜11
 副牧師 江原有輝子
 

◇パウロは、アブラハム契約にある割礼を受けたヘブライ人で、律法を厳守するファリサイ派の教会迫害者だったが、劇的な回心をし「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています」と言う。

◇私たちにイエス様が出会ってくださった時に大転換が与えられた。「キリストを知る」とは何か。「アダムは妻エバを知った」のように、夫婦は精神的・肉体的に最も深く知り合う。神様は私たちと神様の関係を結婚に喩えられた。キリストを信じる時、私たちはこのような深みにおいてキリストに出会い、キリストを通して神様との深い交わりを与えられる。イエス様は神様の力によって復活させられ、今ここで生きて私たちに出会われる。イエス様は決して私たちから離れることはなく、私たちを心から愛し、その愛の故に命を捨ててくださった。

◇今やパウロには「信仰に基づいて神から与えられる義」があり、神様から神様との正しい関係を与えられ、救われた。

◇罪人の私たちは、いくら努力しても神様に背き続ける。この惨めな私のためにイエス様はこの世に生まれて十字架上で死なれ、私たちの初穂として復活された。私たちはキリストに結ばれて十字架によってすでに赦された者とされ、この世での命が終わる時には永遠の命の中に生き、終わりの日にはキリストと共に復活すると確信する。この天の国の喜び、この平安を何と替えたいだろうか。

◇パウロは「キリストとその復活の力を知り、その苦しみと死の姿にあやかりながら、なんとかして死者の中からの復活に達したい」と願う。

◇私たちがキリストの十字架を見上げる時、ご受難と死と復活、キリストを知ることのすばらしさの前では、この世のものごとは全くの塵芥だ。アドベントの季節に私たちのための神の御子の生誕をかみしめ、飼い葉桶の前にひざまずき、キリストと共に喜びの中を歩んで行こう。

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