2018/12/9ー待降節第2主日礼拝ー
「命の光が到来した」
ヨハネによる福音書1:14〜18
牧師 古屋 治雄
◇クリスマスの飾りが、一時よりも地味になったようです。光の強さを競うのではなく、光に込められているストーリーが大切なのです。待降節にろうそくの火をともします。神様が光を照らされて、心が照らされ、喜んでクリスマスを迎えることができるようになるためです。
◇神の独り子が来られます。平和の君としてロバに乗ってエルサレムに入城されたように。十字架の死と復活で、神の新しい恵みの支配の輝きが来るのです。
◇言は神の言葉で、神の意志、力を表します。肉となるとは人間になるという意味です。神と人とは全く違います。けれど、神の言葉が私達のすぐそばに宿られます。天幕を張って一緒に住まわれるのです(14節)。
◇栄光が示されるのですが、目を覆わせるような、人を寄せ付けない光とは違います。人を集め、そこに神の恵みと真理が現されるような光なのです。ルカ福音書によれば、羊飼いたちは天の光に驚いたのですが、馬小屋に行ってどのような光か確かめました。
◇しかし、暗闇は光を受け入れることができませんでした(5節)。マタイ福音書では、星の光は博士を導いたのに、エルサレムのヘロデや市民たちを不安にしました。照らし出されるのは困るような光があります。
◇神が与えられた命に生きようとしているのかどうかが問題です。地上には、神の光を喜べないような闇があります。一所懸命生きていても、神の命に生きているのでしょうか。自分のために生きているのでしょうか。命の光は、天幕を張って一緒に住んでおられます。取り繕うことはできません。
◇神の光は断罪する光ではありません。耐えることができずに滅びてしまうような光ではありません。私達を包み、神へと向かわせる恵みと真理の満ちた光です。
◇出エジプトの民は、天幕に住み、約束の地に導かれました。私達の世界全体がこの命の光に満たされますように。
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