2018/12/16ー待降節第3主日礼拝ー
「小さい者に大きな喜びが」
ルカによる福音書1:46〜56
牧師 古屋 治雄
◇今日の午後、教会学校のクリスマス礼拝でページェントが行われる。劇を演ずることによって、私たちはクリスマスの出来事の中に導きいれられ、恵みを味わう経験をする。
◇マリアは、小さく、名もない、婚約中の乙女であった。ヨセフもまた、身分の高いものではなかった。小さな者である、若い二人がクリスマスの出来事に呼び出されたのである。
◇受胎告知の言葉は、神様の圧倒的な介入によって男の子を宿すという御告げであった。それはマリアにとって驚きであり、信じがたい言葉であり、きっと彼女は逡巡したことであろう。
◇マリアにとって転機になったのは、高齢のエリサベトが身ごもった事が告げられたことである。自分の外側に確かに神様の御計画が始まっていることを告げられ、支えられたのだ。「お言葉どおり、この身に成りますように」という有名な言葉はこうした流れの中にある。
◇マリアが自分のような小さいものに神様が目を留めてくださり、大きな出来事を引き起こしてくださった喜びと、自分がどれほど小さいものであるかを繰り返し語る。ルターは、「正しい謙遜は、自らが謙遜であることを知らない」と言ったが、それはこのマリアの姿を指した言葉である。
◇賛歌の後半は、クリスマスの出来事が、この世の力を根底から覆す神様の御支配が現される出来事であると語る。与えられる御子によって、永遠の支配が、この地上に発揮されることが語られているのである。人々はダビデ王より強い王の到来を期待していた。しかしマリアはこの御告げを、アブラハムに与えられた神様の約束の成就と、まことの御支配の到来と受け止めたのである。
◇神様の憐れみが、地上の支配に替わって私たちを支配する力として注がれている。私たちはマリアと共に、この神様のまことの御支配を受け止め、新しく歩みだしたい。
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