礼拝説教


2019/03/31ー受難節第4主日礼拝ー

「すべての出来事に時がある」

コヘレトの言葉3:1−11
  副牧師 江原有輝子

◇コへレトの言葉3章は「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある」で始まる。70人訳聖書は、前の時をクロノス、後をカイロスと訳す。

◇私たちの人生には、平凡な時クロノスと、大震災のような悲劇や、結婚式や子どもの誕生のように喜びと共に思い出す、忘れ難い時カイロスがある。コへレト3章の「時」はすべて「カイロス」である。

◇私たちはいつ終わりの時が来るか、一分後に何が起こるかを知らない。すべては神が定められた時である。すべての人に生まれる時と死ぬ時があり、私たちは人生の最重要なこの二つの時を選べない。私たちの人生は、神が定められた二つのカイロスの間に置かれている。

◇コへレトが示す様々な時には戦争の影が色濃い。殺す時、破壊する時、泣く時…は戦争の間に起こることだ。コへレトは、激しい嘆きと苦しみの時が終わり、私たちに癒す時、建てる時、笑う時、愛する時が来ると言う。私たちがその時の尊さを知るのは、それが失われた時だ。私たちは生まれる時と死ぬ時の間を歩みつつ、殺す時と癒す時、泣く時と笑う時など両極端の時間を与えられている。

◇神が「永遠を思う心を人に与えられ」、私たちは天地創造の時から終わりの時までを心に思い描ける。終わりの時を待ち望むが、一瞬先のことを知り得、神のなさる業をすべて知ることはできない。

◇今日私たちは別れの時にいる。「別れは小さな死」というフランスの諺がある。私たちは生まれた時から多くの人に出会ってきた。出会う時私たちはその人の中に生まれ、愛する人と別れるたびに私たちの一部が死ぬ。死ぬ時まで、私たちは少しずつ死に続ける。

◇コへレトは「すべては空しい」と繰り返すが、死んでしまおうとは決して言わない。悲しみの時も喜びの時も神のなさることは皆時に適って美しい。すべての時は神が与えられるものであり、神が私たちを造られたのは、私たちが神の調和に満ちた平和の時の中に生きるためだ。神が終わりの時に愛する人々に再会する希望を与えてくださるから、私たちは希望の中を生きる。

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