礼拝説教


2019/05/05

「悩まなかったやもめ」

マルコによる福音書12:41〜44
  牧師 古屋 治雄

◇私たちの神様は私達が日々どういう歩みをしているか見ていて下る。私たちの日々の生き方、生活に深い関心を持って私たちを見ていて下さる方がいることは私たちの信仰の基本的な理解である。イエス様が当時の人々に注いで下さったその視線は、時を超え場所を越えて今の私たちに注がれている。

◇イエス様は神殿で宮清めをまず行われ、その次に律法学者達との論争を通し、いかに彼等が神様をないがしろにした生活をしているかを激しい言葉で非難された。それは神様から監視されているという思いが彼等にあるからである。これは我々も経験するが自分自身をアピールする心であり、多くの場合それに気づかずに通り過ぎてしまう。自分を誇示し、神様をないがしろにするということは、力に頼ることであり、自分の周りにいる人を押さえつけ圧迫することである。

◇神殿を出ようとしたイエス様の見た光景はそのような律法学者の姿とは対照的なものであった。金持ちを含む群衆が献金を捧げていたがその中の一人の婦人の姿に目がとまった。多くの金持ちは有り余る中から献金したが、この女性はすべてを献金した。

◇このやもめの婦人はどういう生活をしていたのか、どういう苦労を負っていたのか、献金をどうして工面したのか、相当な苦労があったはずである。この婦人が捧げたのはお金だけではなく、彼女の生活(ビオス)全部を捧げたのである。献金したとき、この婦人は横を見ず、まっすぐ神様を見ていた。

◇豊かな人との対比の中でこの婦人は貧しさを捧げるしかなかった。イエス様は弟子たちに、ユダヤ人社会の中でもこのように神様と豊かな関係を持った人がいることに目を留めよと注意を喚起された。私たちはイエス様の歩みの中で、力を抜いて自分の現実を直視して、「これが私です。祝して下さい、助けて下さい、神の栄光をあらわす働きを担うものとさせてください」と祈ることにより、本当の私となる道が開ける。私たちは悩まなくていい多くのことに悩んでいる。このやもめは悩んでいない。

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