2019/05/12
「終末を待望して日々生きる」
マルコによる福音書13:1〜13
牧師 古屋 治雄
◇教会の前を通った人が説教看板を見て「教会の神を信じる人は終末を待望するんだよな」と言ったそうである。終末というと世界の滅亡、大破局を思うがそのような世の終わりを、どうして教会の人々は待望するのか、我々はそのような気持ちになれないと言うのが正直な気持ちであろう。
◇イエス様はその働きを始められたとき「時は満ち神の国は近づいた」と言われた。これは神様の歴史すべてを視野に入れた壮大な言葉である。オリーブ山で弟子たちが、それはいつ起こり、どんなしるしがあるのかとイエス様に問うた。イエス様は弟子たちに対し、エルサレムの神殿が崩壊するようなこともあろうが、惑わされてはいけない、気をつけなさい、目を覚ましていなさいと予告し言われた。
◇神殿の徹底的破壊は神の審判によるものである。ユダヤの人々はこの後離散する。ユダヤ教を信じる人々はユダヤ教の範囲で考え、神様に選ばれた民だからというユダヤ的な考えからはどうしても力に頼ることを考える。イエス様を信じる者は力ではなく、それを神の民が裁かれなければならない罪をイエス様が負って下さり、それに終わらず甦って下さったことにより担われていると考える。
◇イエス様の出来事によって担われたこのことには望みがある。実に紀元一世紀から三世紀にかけてキリスト教徒への迫害は増すが、イエス様を信じる人々は絶えてしまったのではない。逆にローマを包み込み、世界を変える力となった。大きなうねりとなり心惑わされずしっかり立つというイエス様の預言が実現した。
◇戦争や天災が起こると私たちは何を信じればよいかわからなくなり不安になる。しかし、それは終わりではない、歴史を始めて下さった神様が歴史を成就し完成して下さるのである。我々はそのはっきりした土台の中に生かされているのである。教会は終末を恐れない、怯えない、むしろ待望するのである。イエス様が最終的に来て下さることを待望して、日々なすべきことを忠実になしてイエス様の言葉をしっかり受け止めて邁進したい。
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