2019/07/28—聖霊降臨節第8主日礼拝—
「主のもとに来なさい」
ペトロの手紙一2:4〜10
伝道師 上田充香子
◇「この主のもとにきなさい」という「この主」とは、様々なものに例えられる。「ぶどうの木」や「羊飼い」など、イエス様は色々なものにご自身を例えてこられた。今日の聖書の箇所では、「石」として例えられる。「家を建てるものの捨てた石」である。家を建てる大工が選ばなかった石である。引いていえば、人間の生活に必要のない存在ということである。私たち人間はイエス・キリストを捨てる。
◇人間には、自分にとってなにが一番大事なものかが分からない。イエス・キリストを選ぶことが出来なかった。いつも人間は神の思いにではなく、自分の思いに生きてしまう。その犠牲となったのが、イエス・キリストである。そのあたりに転がっている石のように、誰からも必要とされることなく十字架に架かって死なれた。しかし、神様だけはその石を捨て置かれることはしなかった。その石を大切になさった。それだけではなく、その石を捨てた、十字架にかけた人間をも大切にしてくださった。人間が十字架に架けたそのイエス・キリストの命でもって、人間を救いへと招き入れてくださった。私たちが捨てたその石を私たちの罪を赦すための、新しい命を与える「隅の親石」としてくださる。神様が私たちに主イエスという「尊いかなめ石」を与えてくださったから、私たちにとって、何にも変えがたい、本当に大事なものとは、イエス・キリストなのだということに気づかされるのである。
◇人間には、自分にとってなにが一番大事なものかが分からない。イエス・キリストを選ぶことが出来なかった。いつも人間は神の思いにではなく、自分の思いに生きてしまう。その犠牲となったのが、イエス・キリストである。そのあたりに転がっている石のように、誰からも必要とされることなく十字架に架かって死なれた。しかし、神様だけはその石を捨て置かれることはしなかった。その石を大切になさった。それだけではなく、その石を捨てた、十字架にかけた人間をも大切にしてくださった。人間が十字架に架けたそのイエス・キリストの命でもって、人間を救いへと招き入れてくださった。私たちが捨てたその石を私たちの罪を赦すための、新しい命を与える「隅の親石」としてくださる。神様が私たちに主イエスという「尊いかなめ石」を与えてくださったから、私たちにとって、何にも変えがたい、本当に大事なものとは、イエス・キリストなのだということに気づかされるのである。
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