礼拝説教


「神の僕として生きる」

ペトロの手紙一2:11〜17
  伝道師 上田充香子


◇子どもたちと過ごしたCS夏期学校で、子どもたちと一緒に、聖書に書かれている御言葉を今を生きる私たちに語られている言葉として聞く恵みにあずかった。聖書の中に自分を登場させて聖書の中を冒険するのである。ペトロの手紙も冒険しながら読み進めたい。

◇「皇帝」や「総督」に服従しなさい、敬いなさい、と書かれているこの箇所は一見受け入れがたい言葉である。実際にこの手紙の皇帝は服従したり、敬ったり出来ないような悪名高い人物であった。しかし、聖書は従いなさい、と言う。それが「神の御心だから」(15節)である。私たちの日常生活にも当てはめて考えると、理解しがたい、受け入れがたい言葉であるが、神の御心ゆえに従う必要がある。なぜなら、イエス・キリストに救われるということは、権威、権力、重圧、重荷などすべてのものから解放されて自由になることだからである。「自由な人として生活」(16節)することがゆるされているのである。自由な人として生活するということは同時に「神の僕として行動」(16節)するということである。イエス・キリストは自ら皇帝に従って、また「十字架に架けろ」という人々の声に従って、そして、神の計画に従って、十字架に架かって死んでくださった。そのイエス・キリストに従う歩みが与えられているのである。

◇キリストゆえに自由にされた私たちは、与えられた信仰ゆえに、「その自由を悪事を覆い隠す手立て」(16節)にしてしまう。しかし、「魂に戦いを挑む肉の欲」(11節)、つまり神様から離れること、悲しませることを避けなければならない。

◇キリストが私たちを愛してくださったように、皇帝もまだ信仰を持たない人も、イエス様は愛してくださっている。そのことを認めて、「訪れの日」(12節)、イエス・キリストが再び来てくださる終わりの日を、「すべての人を愛し、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬い」(17節)ながら生きる者とされたい。
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