「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」
コリントの信徒への手紙二6:1〜10
青山学院宗教部長 大島 力先生
◇旧約聖書のコヘレトの言葉に「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。…」(3:1以下)とあるが、これは聖書全体を貫く信仰である。神は大きな計画の中で、時を選んで私たちに働きかけて下さるのである。パウロにとって一番重要な時は、イエス・キリストとの出会いの時であった。そのことは、コリントの信徒への手紙二5:17において、新しい創造と言われている。私たちもパウロと同様に、キリストに出会う時、新しく創造され、造り変えられるのである。
◇パウロは自分の人生において始まったこの新しい時は、世界の歴史にとっても決定的な時であると捉えた。それゆえ「今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」と告げている。ここにパウロの救いの原点があり、またその救いの出来事を伝えようとする伝道者の志がある。「今こそ」とは、バビロン捕囚の解放の時であり、またパウロがこの手紙を書いている時であり、さらには、今こうして礼拝を守っているこの時である。
◇パウロが経験した4節後半以下の様々な労苦は、私たちも少なからず経験することである。その労苦にパウロは、素手ではなく「神の力によって」(7節)立ち向かった。そこに救いの道が開かれる。ローマの信徒への手紙5章に記されている「希望の連鎖」が私たちに起こるのである。この神の恵みを無駄にしてはならない。
◇私たちの悩みのひとつは、他人の評価がいつも気になるということである。パウロも同じ悩みを持っていた。8節以下のまったく対照的な評価をパウロは実際に経験したのである。私たちもこのことに一喜一憂する。しかし、パウロはそんな時にも「神に仕える者としてその実を示して」(4節)いると語る。これは私たちにも開かれている可能性であり、一喜一憂せずに生きることの出来る、神の恵みである。
◇パウロは9節以下のように言われた時も、神が自分をどう見ていてくださるかに立ち帰って試練を乗り越えてきた。特に9節「人に知られていないようで、よく知られ」という言葉に聖書の福音の中心がある。周りの人々から理解されないことがあっても、神は知っていて下さる。ここに私たちにとって深い慰めがある。「伝道の力」は、この教会の原点と各々のキリストとの出会いに立ち帰り「神に仕える者としてその実を示す」とで発揮される。
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