礼拝説教


2020/01/05

「神の御業を世界に証しする群れ」

使徒言行録2:1〜13
牧師 古屋 治雄


◇新年にあたって、私たちは「何を心がけるべきか、何を為すべきか」と考えがちである。しかしその前に神様がなされたことに目を注ぐべきである。イエス様は、驚くべき御業をなさるかたであるという以上に、自力ではどうにもならない私たちの、神様に従えない罪の性質を、十字架によって負い、私たちをあがなうために来られたのである。「この子は、(人々の)反対を受けるしるしとして定められています。」(ルカ2:34以下)とのシメオンの預言のとおりである。

◇イエス様は復活ののち使徒たちと40日間を過ごされた。その後天にあげられ、直接見ることはできなくなった。しかしそれは心配するには及ばない。約束によって、私たちには聖霊が注がれた。ペンテコステの出来事である。復活のイエス様と直接の交わりの中にあった人たちだけでなく、イエス様を訪ね求める者すべてに、聖霊を通してその力が及ぶようになった。新しい時代の到来である。この時、ひとつの聖霊が一人ひとりの上に留まった。私たち一人ひとりは、聖霊を宿す神の神殿になったのである。(Iコリ3:16-17)だから私たちは、この世の力を恐れることなく神様の御業に参与することができる。

◇ペンテコステは言葉を与える出来事であった。散らされていた、異なる故郷をもつ民がエルサレムに集まっていたが、彼らは使徒たちが突然、故郷の言葉で話し出すのを聞くのである。これは、解いてもらわなければ理解できない異言ではない。各自の魂に直接響く言葉で、神の偉大な御業が賛美されているのを聞いたのである。聖霊を受けて、理解できる言葉で神様を賛美するというこの出来事から、教会の歴史が始まったのである。

◇神様の正義、公正、平和はどこにあるのか。私たちは現実の前に退かざるを得ないのか。そうではない。イエス様はいつでも、どこでも、信じる者と共にいてくださる。イザヤ書55:10以下で示されているように、私たちが語る神様の言葉はむなしく戻ることはなく、必ず役割を果たす。聖霊の働きの中に結ばれていることを信じて、この年も歩んで行こう。

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