礼拝説教


2020/02/02

「主イエスの名による力を担う」

使徒言行録3:1〜10
牧師 古屋 治雄

◇ペンテコステによってエルサレムを中心にして新しい出来事が起こった。ユダヤ社会の人々は綿々と続く伝統社会の中で日常生活を送っていた。その中にイエス・キリストが使徒達をお立て下さり、ペトロ達が神様の力を頂いて教会を形作り、新しい出来事が生まれて来る。

◇1〜3節まではこれまでのユダヤ社会と同じ日常が描かれている。この男は神の民の一員だが、生まれながらの足の不自由も含めて、神の恵みの中に生きているとは本人も周囲も思えなかった。身体に不自由を負う人は規定により神殿の中に入ることはできなかった。神様と直接出会うことは諦めていたし、頼るのは同情、憐みをかけてくれる人の助けであった。彼は神殿の門の前に物のように置かれていたのである。

◇4節、約束された聖霊を注がれて、キリストに代わってキリストの働きを担う者とされたペトロ達がこの男の前に立ち、いつもと違う出会いが起こった。彼をじっと見たペトロ達の視線を、今までに見たことのない視線と気付き、彼の方からも二人を見た。ペトロたちは、キリストご自身がこの人の現実を深いところで受け止めて、憐れみを注がれていると確信をもって熱い視線を注いだ。ペトロを通してキリストご自身がそこに働いて下さって、手が差し伸べられたのである。

◇教会がどうしたらキリストの力強い働きを担い現していくことができるか。使徒達の働きを見ると、本当にキリストの名を語る者としてキリストに全幅の信頼を置き、キリストにすべてを委ねて、祈りと呼びかけと手を差し伸べるとき、キリストの働きを担う者とされる。

◇この人は差し伸べられた手に行動を起こす事ができ、境内に入って神を賛美した。神様の恵みの支配に与っているとは言えない多くの人が経験している不自由や恐れの只中に私達はキリストの名を帯びて働く者として立てられている。主の教会はその拠点としてそのただ中に立てられている。この恵みを新たに覚え、新しい年度に希望を持って向かう者となりたい。

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