礼拝説教


2020/02/09

「慰めの時を伝える教会」

使徒言行録3:11〜26
牧師 古屋 治雄

◇平岩先生は第一線を退かれたあとも阿佐ヶ谷の地で福音を述べ伝え続けることにされた。それは伝道を止めないという決意であり、この群れがやがてメソジストの正式な教会となり、主の証人としての歴史を担うことになった。イエス様が天に上げられる前、使徒たちは「主よ、イスラエルを立て直すのはこの時ですか?」と問うた。イエスは「あなた方の上に聖霊が降るとあなた方は力を受けるだけでなく、地の果てまで私の証人となる。」と言われた。阿佐ヶ谷教会にもこの力が及んでいる。

◇今日の箇所で、集まってきた人達にペトロは、この奇跡は自分たちの力ではなく、「イエス・キリストの名」による力であると語る。この力は死に打ち勝った力であるが、イエス様を死に追いやった力に触れざるを得なかった。ピラトが釈放しようと決めていたイエス様をあなた方は殺してしまったのだと。しかし、ペトロは人々を告発し、裁こうとしたのではない。17節にあなた方は指導者同様、無知であったためと私は知っているとある。

◇18節に「メシアの苦しみをこのように実現なさったのです。」とある。イエス様はこの苦しみを積極的に受けられたのである。イエス様は罪深さにかかわらず人々がどのような苦しみを受けているかを知っておられる。その苦しみ全体がメシアの苦しみであり、それをイエス様は苦しんで下さっている。イエス様は彼を十字架に渡そうとしている人々の苦しみを身に負われた。イエス様はそういう視点で自分を苦しめる人々を見ておられる。イエス様の救いの出来事は教会の時代になって廃れたのではなく、一層普遍的に担われるようになった。

◇今日、私たちの時代、慰めはとても重要であり、それを伝えるのは教会に託された使命である。神様が苦しみを担ってくださり、死の絶望から解き放ち、慰めに招いてくださる。世が神の支配で全部包まれるまで、イスラエルだけでなく地上のすべての人々に行き渡る、そのような慰めの中に、私たちは生かされてる。我々自身も慰めの中にあることを覚え、96年の歴史を感謝しつつ、慰めを伝える役割を担っていきたい。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com