礼拝説教


2020/02/23

「キリストの名を呼び求めるとき」

使徒言行録4:1〜14
牧師 古屋 治雄

◇長老や部会の選挙が行われる時期である。教会生活は、キリストの体である教会のメンバーとして、神に応えることにある。使徒言行録には使徒達がキリストの体を担って、キリストの復活の証人として様々な働きをしていくことが記されている。

◇この4章でペトロは三度目の説教をしている。この奇跡は何であったのか、イエス・キリストの出来事は何であったのか、喜び、畏れ、覚悟をもって福音に生きる喜びを語った。そのことは二千年後の私たちにまで届いている。ペトロの説教はユダヤの人々にとって厳しい内容であったが、これまでは好意を持って受け止められていた。しかし、ここでは反感を持って受け止められ、二人は捕らえられるまでになった。争点は復活であり、主導したのは復活を否定するサドカイ派の人々であった。聖霊が注がれた後も教会の道には苦難があった。

◇ペトロはエルサレムでユダヤ社会の中枢の人々から、どんな権威で、誰の名によって語ったのかを問われている。ペトロはイエス様がユダヤの人々に殺されたが、それで終わらず神様がイエス様を復活させて下さったことを何度も語った。イエス様の名が語られるとき、「隅の親石」となられたイエス様が十字架の力を発揮されるのである。このことを12節でペトロは「この名のほか、誰によっても救いは得られない」と語る。

◇そもそも始まりはエルサレム神殿の入り口での不自由な人の癒しという一つの出来事であった。小さいことだが新しい神の出来事であり、十字架と復活に通じていた。それは単に死人が甦ったということではなく、死を克服する力がイエス様を通して示されたということである。そしてこれはユダヤの社会だけの出来事ではなく世界に現わされた大きな出来事であった。

◇私たちも教会に繋がり、主イエスの希望に連なる者として、イエス・キリストの名によって執りなしをし、この現実の中どうか働いて下さいと祈り、教会生活をしている。私たちは小さな者であるが、教会の体制を整え、新たな歩みをしたいと願う。

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