2020/03/15
「命の言葉を語りつづける」
使徒言行録5:17〜32
牧師 古屋 治雄
◇使徒言行録は、イエス様の十字架の時には散り散りになって、無残な姿であった弟子たちが、今や使徒とされ、恐れることなく「神様がイエス様を甦らせてくださったこと」を宣べ伝える姿を伝えている(30節)。これは私たちキリスト者の信ずる福音の中心である。ペンテコステの出来事の後、使徒たちが語る場面はこれで4回目である。ユダヤの民衆は大いに感銘を受け、その言葉を受け容れていたことが4章に記されている。使徒たちが癒しの業を行うことができたのも「ナザレのイエスの名」による、すなわち神の力によるのである。ユダヤ教の指導者たちは使徒たちをたびたび脅し、力で黙らせようとする。しかし力では何も解決しないのである。
◇使徒たちはユダヤの指導者たちに捕らえられ、牢に入れられる。(このことは律法を根拠にしているのではなく、「ねたみ」が動機である。)しかし不思議な出来事が起こる。天使が牢の戸を開け、「神殿で命の言葉(=イエス様の復活を語る言葉)を民衆に告げなさい」と命じるのである。指導者たちは牢が空であったことに驚き惑う。しかも使徒たちは夜明けとともに神殿(=大祭司たちの本拠地)で教え、語っている。指導者たちは度肝を抜かれたことだろう。語ることを禁じられ閉じ込められようとも、使徒たちは語っている。何が真実か、どちらが神様のみわざを現しているのか、この状況から明らかであろう。
◇使徒たちは、イエス様を十字架につけて殺したことについて指導者たちを糾弾しようとしているのだろうか。答えは否である。直接相手にしていない。むしろ十字架と復活の出来事によってこの世の力が無効にされ、悔い改めへと導かれ、その罪が神様によって赦されようとしており、そこに救い主、命への導き手、イエス様が働いていてくださることを語っている。
◇イエス様の復活にすべての望みがある。これこそ福音の中心点である。新しい救いの歴史が示されている。教会は、私たちすべてを生かす言葉を、時によらず、状況によらず、語るのである。
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