礼拝説教


2020/05/10

「新たな壁が立ちはだかっても」

使徒言行録6:8〜15
牧師 古屋治雄


◇使徒言行録の時代、エジプトのアレクサンドリア、シリアのアンティオキア、ローマなど、地中海世界の主要都市に教会が立てられていた。しかし中心はエルサレムの教会である。この都には、以前から住んでいるヘブライ語を話すユダヤ人の他に、外国生活から帰国したギリシア語を話すユダヤ人など、異なる背景を持った人たちがいた。教会の中でもギリシア語の人々とヘブライ語の人々の間のトラブルがあり、対応するためにステファノらが立てられたことが伝えられている(6:1-6)。ステファノは教会運営を担うだけでなく、み言葉に聞き、不思議な業としるしをもって福音を語っていた。

◇一方、ユダヤ人の歴史をたどれば、王国は滅亡し、人々は捕囚となり、ようやく帰還しても強大な国の属国となるしかなかった。その中で第2神殿が建設され、そこで律法が朗読されるのを聞いて皆、泣いたのである(ネヘミヤ8)。散らされた民(ディアスポラ)、帰国してきた人々にとって、神殿での礼拝と律法は信仰の根幹であった。

◇この帰国のユダヤ人たちは、教会が神殿での礼拝や律法を軽視しているのではないかと疑い、激しい議論を挑んで来る。彼らはイエス様の十字架と復活のできごと、約束の聖霊降臨のできごとを受け入れることができない。イエス様の福音がこのユダヤ的背景を乗り越えることができるかどうか。そこにステファノが立たされている。もちろんイエス様が神殿や律法を否定してはおられず、むしろその真の意味を教えてくださったことは福音書から明らかである。

◇使徒たちは、ステファノたちより前に復活のイエス様と直接出会った。しかしステファノの時代にはその直接の関係に代わって聖霊が注がれた。教会の時代の幕開けといえる。教会の歴史は神様の救いの歴史である。聖霊の力は弱まらない。私たちの教会も聖霊を受けて神の業を行う。15節は、私たちが神の栄光を受けて、その輝きを表す者となることを示す。困難の中で絶望しない。見通せないが乗り越えられる。いや、イエス様が注いでくださった聖霊を信じる時、すでに乗り越えられていることを確信できるのである。



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