礼拝説教


2020/07/12

「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」

使徒言行録9:1〜19a
牧師 古屋 治雄


◇教会の歴史は使徒達によって力強く担われた。ステファノ、フィリポという教会の指導者達も使徒達と同じように大事な働きを担い、圧倒的な聖霊が注がれて彼らの伝道は進展していった。

◇しかし、神様の力が注がれつつも大きな困難を担わなければならなかった(8:1)。ユダヤ教の信仰とイエス様を信じる信仰がどのようになっていたのかが課題となる。使徒達はユダヤの社会で新しい宗教を始めようという思いは全くなかった。しかし、神の民はそれを理解しなかった。ユダヤの伝統をはみ出していると思う人が大勢おり、その熱心な指導者としてサウロが登場する。

◇サウロは声を聞いた。「なぜ、イエスを救い主と信じる者を迫害するのか。」ではなく、「なぜわたしを迫害するのか。」という声だった。人間には発することのできない問いである。教会の群れを告発、迫害することはイエス様ご自身を告発、迫害することであるとサウロは直接ここで経験した。そして自分の信仰、信念、注いできた熱心が全て変えられた。

◇サウロの経験をどう受け止めるか。私達もイエス様の体といわれている教会に仕えている。教会の役割分担を担うことに一所懸命になるとき、人格としてのイエス様に教会生活を通してお仕えしているということが希薄になる。人格としてのイエス様にお仕えする具体的な生活が私達の信仰生活なのである。

◇クリスチャンを迫害していたサウロの責任は問われないのか。ペトロの時と同様に、イエス様はこれから何をなすべきかにサウロを差し向けて下さった。サウロのこの経験は個人的な経験ではなく、平行してアナニアという弟子を通してサウロが教会に受け入れられ、教会が立っていくのに必要な経験として教会の中に注がれ、位置付けられている。

◇サウロは福音を伝えるために身を粉にして伝道した。サウロの役割は私達の教会にバトンタッチされている。私たちはイエス様の福音を述べ伝える役割を託されて、それぞれの所へ遣わされている。

(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com