礼拝説教


2020/07/19

「御子に望みを見る」

ヨハネの手紙一2:28〜3:3
伝道師 上田充香子 ◇「あなたは誰ですか。」この問いに私たちはどのように答えるだろうか。この問いは子ども向けカテキズムの問1である。問いに対する答えはこうである。「わたしは神様の子どもです。」私たちは事あるごとにこの問答に立ち帰り、問い直す必要があるのではないだろうか。

◇「わたしは神様の子ども」。ヨハネの手紙一3:3にはこのことが示されている。父なる神様が私たちをどれほど愛してくださっているか、私たちはよく考え、見なければならない。それは私たちを「神の子」とされるほどの愛である。神の子とされるということは、神様が私たちのお父さんになってくださるということです。家族として、父として身近な存在としてこの世に降りて来てくださった程に、何の罪もないまま十字架で死なれた程に、そして死に打ち勝って復活してくださった程に私たちを愛してくださった。この無償の一方的な愛によって私たちは神の子とされている。

◇この神の愛から離れてはならない。「世」(3:1)とは「反キリスト」(2:18)のことである。この「世」の力は外側からではなく、自分の内にも存在している。自分の生活において神様、イエス様を拒否している部分がないだろうか。どこに居ても誰と居ても「わたしは神様の子ども」なのである。

◇誰もが迎える「死」においても、「あなたは誰か」と問われる。自分が自分であり続けられるのか、不安になるからである。しかし、死においても神の子としてくださる神様が、私たちを御子に似た者としてくださる希望を与えてくださる。死の時にキリストに出会うことが出来、そしてそのキリストに似た者とされるのである。

◇この希望をもって、それまでの日々私たちは与えられている命を生きる。主イエスの愛の内にいつもとどまり、父なる神様の愛から離れることなく、新しい命をくださった主に栄光を帰す思いで生きるのである。そのように生きる時、イエス様が全く清く生きてくださったように、私たちも自分自身を清めて生きることが出来る。簡単なことではない。しかし「世」に打ち勝ってくださった主イエスが私たちといつも共に戦ってくださる。

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