2020/07/26ー聖霊降臨節第9主日礼拝ー
「福音はすべての人間を自由にする」
使徒言行録9:19b〜31
牧師 古屋治雄
◇私たちキリスト者の信仰は、普遍的な信仰として世界の人々に受け入れられている。しかし現在のコロナ禍の中で苦闘する世界は、自国中心主義など、一つになることができていない。その現実に、「しょうがない」と言うことはイエス様の道ではない。私たちは神の子として愛され、祝福され、救いに招かれている。その呼びかけに応えて、助け合う行動を起こさなければならない。
◇初代教会は、イエス様の大伝道命令(マタイ28:19〜20など)を受けて、「イエス様は救い主である」という信仰を普遍の真理として、ユダヤ社会から世界へと伝えた。その働きはペトロを中心とする使徒たちによって担われていた。一方、パウロは熱心なユダヤ教徒としてステファノの殺害に賛成していたが、ダマスコ途上、復活のイエス様に出会う経験をし、異邦人伝道のために神様に選ばれた器とされ、キリスト教の伝道者に変えられた。パウロはユダヤ社会からも裏切り者と疑われ、キリスト教会からも本当に信じていいのかと疑いを持たれていた。
◇その大転換の経緯をパウロ自ら記している(ガラテヤ1:11〜18)。パウロは、今まで理解していたユダヤ教の信仰体系から新しい教えに乗り換えたのではない。そうではなく、神の民の歴史にイエス様の十字架と復活という救いの業が決定的に示され、救いが完成したことを確信したのである。パウロの内に信仰の不連続はない。イエス様を知り得たことが彼の内に喜びとなって満ち満ちた(フィリピ3:8)。だからこそ回心の後ただちに、福音に生かされることの素晴らしさを告げ知らせる者となったのである。
◇パウロはペトロらに伝道の許可を得ようとエルサレムに向かったのではない。自分は、月足らずで生まれたような者ではあるが、間違いなく使徒であるという確信があった。福音を知り、福音に生きる喜びがあったからである。だからその喜びを伝えることができた。私たちもまた、福音に生きる自由が与えられている。そしてその喜びを共に世に伝えることができる。そのことによって神様の光栄ある救いの歴史に参与することができる。これは大きな喜びである。
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