礼拝説教


2020/09/20

「水の上を歩く」

マタイによる福音書14:22〜33
神学生 太田好則


◇今日の箇所でイエス様は弟子たちだけを先に船で送り出される。イエス様が天に昇られた後は、弟子たちが教会を導かなければならない。見えるお姿のイエス様がいらっしゃらない船(つまり教会)を経験する訓練である。

◇夜明け前、イエス様は水の上を歩いて弟子たちの船に近づかれる。教会にかかわろうとしてくださるイエス様のお姿を示している。恐れる弟子たちに「安心しなさい」と言われる。この言葉は常に罪の赦しと結びつく言葉である。罪深い私たちを受け止めて「安心しなさい」と言ってくださる。この出来事は、復活のイエス様の弟子たちへの出現を予見させる。そして私たちの裁きの日にも、裁き主がイエス様であることを知っている私たちは安心していられるのである。

◇のちにペトロは、どんなことがあってもイエス様について行こうと決意する。水上歩行の願いはそうした決意の一つの表現である。イエス様はその気持ちを受け止め、「イエス様の弟子である」ということの真の意味をつたえるためにそれを許されるのである。ペトロは水上を歩いてイエス様に近づくが「風は怖いもの」という漁師の常識、人間の価値観が入り込み、沈み始め、叫ぶ。「主よ、助けてください。」するとイエス様は「信仰の薄い者よ」と言われる。この言葉は「小さい信仰の者よ」と訳せる。あなたの信仰は人の罪と戦うにはまだ弱い、と言われたのである。人間は、イエス様をちょっと脇に押しやってこの世の価値観、常識を優先してしまう。そこを悪魔が襲う。イエス様は「罪の力に勝つために、もっと大きな信仰を持ちなさい。」と言われたのである。ペトロを断罪なさったわけではない。「立ち返り」を促しておられる。だから私たちは、沈みかけた時にはいつでも、何度でも「主よ、助けてください。」と祈ることができる。

◇そしてイエス様が船に乗ってくださると風は静まり、間もなく目的地に着く。教会の目的地は天である。教会という船にイエス様が乗っていてくださるから、私たちはまもなく目的地に着き、安心して上陸することができる。

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