2020/10/4
「新たな教会の拠点 アンティオキア」
使徒言行録11:19〜30
牧師 古屋 治雄
◇日本基督教団の教会を見ただけでも人数の面、財政面、主任牧師を欠くなどの困難を抱える教会は多い。教会がどう、互いに支えあうか、大きな課題である。阿佐ヶ谷教会はその中で対外的協力を惜しんではならない。
◇8章にあるように、最初の教会は迫害を受け、エルサレムを追放される。サマリアから地中海沿岸に伝道を始めるが、当初はギリシア的背景を持つユダヤ人への伝道が中心であった(19節)。しかし20節で教会は新しい段階へ進む。ギリシア語を話す人々、つまりユダヤ的背景を全く持たない人々にも語り始めたのである。この活動を担ったのはバルナバやサウロ=パウロではない。福音の真理に触発された無名の人々の働きがここに注がれている。そしてこの人々を主がお助けくださったので、立ち返る(生き方を方向転換する)者が多く与えられたのである。
◇当時のアンティオキアは人口100万を擁し、ローマ帝国内で第3位の大都市であった。それゆえ享楽的な面を持っていたであろう。そのような空気の中で、当初、揶揄する言葉であった「キリスト者」という言葉が一般的に使われるほど、キリストを信ずる者たちが、福音の喜びと真理に生きる者として認知されていた、という事実は驚くべきことである。
◇バルナバはエルサレムの教会で使徒たちと緊密な関係を持っており、信頼されてもいた。またキプロス出身であるからギリシア的背景をもつ人々にも理解があった。エルサレムからアンティオキアに派遣されるのに適任であった。そしてサウロ=パウロをタルソスで見つけ出し、アンティオキアに連れてきたのもバルナバであった。これらのことはすべて神様の導きであったことに注目しよう。
◇生まれたばかりのアンティオキアの教会は、大飢饉に襲われたエルサレム教会を支援する活動を実行する。ユダヤ人・異邦人の壁を越えた新しい人間観がここに見られる。そして教会は世界の教会になっていくのである。日本の教会は数の面から見てもなお、十分ではない。私たちもアンティオキアの教会の姿を見つつ、支えあいながら歩んで行こう。
(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com