2020/11/15-降誕前第6主日礼拝-
「裏切られない安心」
ヨハネの手紙一3:19〜24
伝道師 上田充香子
◇「安心」とは誰しもが欲しいと願い続けているものである。しかし、手に入れることが難しい程、人は不安要素を多く抱えている。しかし、「安心できます」(19節)と聖書は語る。安心できることは私たちにとって大きな希望である。
◇ではなぜ安心できるのか。「これによって」(19節)とは、直前16節によってということである。主イエスが私たちのために十字架に架かり、命を捨ててくださった。そのことによって私たちには愛が知らされた。心に責められることがあるその責めを主イエスが弁護してくださる。その愛によって、私たち自身の罪が赦され、兄弟姉妹を愛することが出来る様に変えられた。
◇また、私たちは「真理に属している」(19節)。主イエス出身の者とされている。洗礼を受け、主を信じる者とされたときから、真理出身の者である。かつての私たちは罪に属していたが、洗礼を受けた時から、罪から真理に属する者と変えられた。そのように主イエスが執り成してくださったからである。
◇「神は、わたしたちの心よりも大き」(20節)い方である。自分を大きくしようとしてしまう罪からも解放してくださった主が、私たちの心よりもはるかに大きな主が、私たちを主のただ中へ招いてくださる。その時に、私たちは自らがどれだけ小さな者であるのかを知るのである。
◇真理に属する者は、神様の前には皆等しく小さな者である。自分を責めたり、人と比べたり、人を裁くことから私たちは解き放たれた。教会はそのような真理に属する私たち一人一人の実家である。週の初めに帰ってきて、憩うことのできる家である。そしてまた礼拝で生きる力をいただいて出発するのである。そのようにして、幼い子どもから、歳重ねた方々まで皆が生涯、いつでも帰ってくることの出来る家が私たちに与えられている。主が一時的ではなく、いつも神の内にとどまり、神も私たちの内にとどまってくださるからである。だから、私たちは安心できる。安心して主の内で、また内にとどまってくださる主に信頼して歩み出そう。
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