礼拝説教


2020/12/13-待降節第3主日礼拝-

「準備されていたクリスマス」

ルカによる福音書1:67〜80
牧師 古屋 治雄


◇新約聖書の初めにイエス・キリストの御降誕が伝えられているが、ここで神の救いの歴史が始まったのではない。すでに旧約聖書の神の民の歴史の中に始まっており、クリスマスはその中に位置づけられる。ルカによる福音書には、旧約時代を引き継ぐ人物としてザカリアとエリサベトが登場し、クリスマスの序章が起こった。

◇長い間、口がきけなくされていたザカリアは息子ヨハネが与えられ、一気に堰を切ったように喜びを歌った。その賛歌(預言)の中で、ザカリアは神の民の歴史の中に起きた二つの大きな救いの出来事をとりあげる。一つは68 節の神様の圧倒的な導きによってイスラエルの民が出エジプトと言う解放を経験したこと。二つ目は69節で、イスラエルに王を立てて下さったこと、王国がなくなった後もいずれ神様が王様を与えてくださるという希望を支える信仰を与えて下さったことである。

◇76節以下をみると、ザカリアは自分たちに与えられた息子ヨハネの預言者としての役割を語っている。「主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせる」、つまり、ヨハネは力を持ったダビデの裔なるメシアが来られるという預言をするのではなく、そのような期待を持つ民の神の前での在り方、悔い改める姿勢を問う預言者として立つことであった。

◇この賛歌の中で「救い」という言葉が4回出てくる。この救いという言葉は何から救われるのかが重要である。71、74節では敵の手からの救いが語られているが、77節は罪の赦しによる救いを語る。

◇ザカリアの預言通り、ダビデ王の裔として力を振るうメシアではなく、私たちの中にある、又私たちの社会にある根本的な罪を担ってくださり、赦してくださるメシアが到来したことをヨハネは示した。

◇救い主は外側にいる敵からの救いではなく、私たちの内側にある罪から救って下さる。悔い改めることのできない人間のその罪を赦してくださる救い主が来て下さっている。クリスマスを待つこの時、ザカリアの預言に耳を傾け、そのことを新たに知る者となりたい。

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