2020/01/24
「打ち勝つ信仰」
ヨハネの手紙一5:1〜15
伝道師 上田充香子
◇ヨハネの手紙一の最後の章、結論の部分に入った。1〜5節の区切りには「イエスをメシアであると信じる人」(1節)、「イエスが神の子であると信じる人」(5節)という同じ意味の言葉、私たちの信仰の告白の言葉がある。これは私たちが何を信じているか、ということである。私たちが信じているのは、イエス様が私たちの救い主であること、イエス様が神の子であるということである。ここに私たちの信仰の原点があり、神様からの大きなプレゼントである。
◇クリスマスに弱く、小さな者、赤ん坊として生まれてくださったイエス様が、人と共に生きてくださった。人を愛し、人に仕えて生きてくださった。そして人間の罪のために命を落とされた。ここに主イエスの愛がある。私たちはこの愛をしっかりと受け取らなければならない。愛を知り、主イエスを救い主と信じる時、私たちは神の子とされるのである。そして信じる者の集いである教会は神の子の集い、神の子ども同士なのである。主イエスによって神の子ども同士は愛する者とされている。
◇主イエスを信じるところには戦いがある。この世、主イエスを救い主だと信じることの出来ない世界、また自分の心との戦いである。愛に絶望しそうになる、見えない敵との戦いがある。しかし、「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」(5節)とあるように信仰がこの戦いに勝利するのである。信仰とは自分自身の力や強さによるのではなく、主イエスが私たちの救い主であり、この主が私たちに代わって勝利をおさめてくださる、という点に確かな望みを置くことである。自分自身の信仰に不安を抱く必要はない。信仰そのものの確かさについても神様にお任せし、私たちの代わりに戦ってくださる主イエスに確かな希望をもって歩むのである。
◇愛することは難しくない。私たちは愛に絶望しない。愛を諦めない。主イエスが私たちを愛し、私たちの代わりに復活という勝利を告げてくださったから、私たちも神様の子ども同士愛し合うのである。主イエスから受けた愛を人に渡していく。これが世に打ち勝つことに繋がるのである。
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