礼拝説教


2021/05/30

「御言葉はあなたの近くにある」

ローマの信徒への手紙10:5〜13
伝道師 上田充香子

◇ペンテコステに与えられた聖霊は、「炎のような舌」という見える形で降って来られた。舌には食べる、話すという大きな2つの役割がある。炎のような舌が人間の上に留まったことによって、神様から与えられた言葉を味わい、語る者とされたのである。そこから教会が誕生した。阿佐ヶ谷教会も聖霊の働きによって建てられ、礼拝毎に御言葉が語り続けられている。

◇「口でイエスは主であると公に言い表し」(8節)とこの手紙でも、この舌、口で言い表すことが求められている。イエス様は主、私たちの救い主であり、神様がイエス様を死者の中から復活させられたこと、このことを心で信じ、口で告白することが大切なのである。私たちが洗礼を受ける時も、礼拝という公の場で信仰の告白をすることが求められる。公の場で告白することによって、自分一人の信仰ではなく、教会全体の共同体の信仰となるのである。

◇しかし、私たちは時に、口と心が乖離する経験をする。心で信じていても、口で言い表すことが出来ない現実、逆もまたあるだろう。しかしそのようなことに自分自身が悩み、立ち止まってしまう時、私たちは自分自身を中心にして、イエス様を脇に置いてしまっているのである。イエス様は私たちが洗礼を受けた時から、私たちに向き合ってくださり、すべての言葉を受け止めてくださっている。私たちが向き合うべきは自分ではなく、イエス様であることを忘れてはならない。なぜなら、イエス・キリストは、私たちが生きるメリット、デメリットの社会を取り払って、ご自身を私たちの為にささげてくださったからである。天から降り、十字架に架かり、底なしの淵まで共に降ってくださり、復活してまた天に昇ってくださった。キリストの愛は私たちの知識をはるかに超えて広く、長く、高く、深い。私たちはその愛に既にあずかっており、その愛いに満たされているのである。律法を完成し、終わらせてくださり、すべての人を救いへと招いてくださったこの主イエスの福音が私たちに注がれている。この言葉を確かに受け止め、主に祈り、賛美しながら新しい一週間も歩み出したい。

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