礼拝説教


2021/6/27—聖霊降臨節第6主日礼拝—

「イエス様の家族とされる」

マルコによる福音書3:31〜35
伝道師 上田充香子

◇教会では洗礼にあずかった者は、神の家族に加えられた、という。神様に連なる家族とされ、互いを兄弟姉妹と呼ぶこともある。なぜそのように呼ばれるようになったのか、その始まりが今日の聖書箇所に記されている。

◇イエス様の話を聞きに来た大勢の人がいた。その中には色々な人が居たが、イエス様の血縁はいなかった。しかし、イエス様は言われた。「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。」(34節)血縁の家族がいないその場所で、わたしの家族がいると仰ったイエス様の言葉は、私たちにとっても救いの言葉となる。

◇しかし、イエス様は続けて言われた。「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」(35節)途端に私たちは不安になる。誰も神の御心を行うことの出来る人などいないからである。御心を行う妨げになるのは欲である。人には独占欲があり、これはどの世代にも付きまとう。イエス様の血を分けた家族もイエス様を自分の元に取り戻そうと探しに来た。しかし、家の中にいるイエス様を、人をやって呼びに行かせることしか出来なかった。わが主イエスと呼ぶことが出来なかったからである。血を分けた家族をイエス様がないがしろにした訳ではない。この時イエス様にとって、目の前の救うべき人々の方が大切だったのである。イエス様ご自身が血を超えて生まれて来てくださったお方である。

◇イエス様の招きに、神様の御心に私たちはどのようにお応えすることが出来るか。それはイエス様の招きに応えて、イエス様の周りに座り、神の言葉に耳を傾け続けることではないか。イエス様はまず、率先して御心を行なってくださった。それどころか、私たちが御心を行うことの出来ない者であり、イエス様を十字架につけろと叫ぶ声であることをご存知の上で、招き続けてくださっているのである。オンライン礼拝を守り続けている私たちが、どのようにイエス様の招きにお答えし、また神様の御心を行う者とされているか、今、問われているのである。主イエスの語ってくださる御言葉に耳を傾け続けるものとされたい。

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