2021/7/18—聖霊降臨節第9主日礼拝—
「まだ信じないのか」
マルコによる福音書4:35〜41
伝道師 上田充香子
◇「まだ信じないのか。」イエス様が弟子たちに向かって語られたお叱りの言葉、悲しみの中で嘆いている言葉とも取れるこの言葉は、私たちに向けられている言葉である。
◇イエス様はこの日4章のはじめから始まる長い一日をお過ごしになった。神の国について一日中、湖の上で語り続けられた。夕方になった時、休むために、弟子たちと共に湖の向こう岸に渡ろうとされた。しかし、その船路で突風に遭い、弟子たちは不安に駆られる。しかしその頃イエス様は舟の艫の方で眠っておられる。不安からくる苛立ちか、弟子たちはイエス様に向かって「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(38節)と起こした。イエス様はその声に目を覚まし、風を叱り、湖に「黙れ、静まれ」と言ってすっかり風は止んだ。そこで語られたのが、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」というイエス様の叱責の言葉である。この言葉を逆に捉えるならば、信じているならば、怖がらないはずではないか、と読むことが出来る。イエス様が弟子たちを信頼して、舟を漕ぐことを託してくださったにも関わらず、弟子たちは恐れから、その役割を放棄してしまった。神様であるイエス様が共に舟に乗っておられたのに、イエス様がまるでおられないかのように恐れてしまったのである。
◇私たちもまるでイエス様を知らないかのように、コロナなどから目の前の出来事に恐れ、不安からイエス様に怒ってしまってはいないだろうか。その時にイエス様は「まだ信じないのか」と私たちを叱りながら、ご自身がどなたなのかを示し続けてくださる。イエス様はこの時、言葉ではご自身をお示しにはならないが、十字架への道のり、また復活した御姿を通して、ご自身をお示しくださる。そして、「全世界に行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と、私たちに舟を漕ぐ役割を託してくださるのである。私たち自身にも、また阿佐ヶ谷教会という舟にも主イエスが共に乗ってくださっているということを忘れることなく、同じ役割を託されている者と共にオールを漕ぎつつ、船路を進んでいきたい。
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