2021/04/18−聖霊降臨節第10主日礼拝−
「アルテミス総本山での伝道」
使徒言行録19:23〜32
牧師 古屋 治雄
◇エフェソではパウロらが伝える福音が人々に浸透しはじめていた。一方で根強い反発もあった。アルテミスは豊穣神・多産神としてこの地で信仰されていた。神殿には巡礼者が多数訪れていた。そこへパウロらが全く異なる福音を伝えた。それは人々にとっては信仰の根幹を揺るがす挑戦であった。
◇聖書の信仰は豊穣や多産も祈るが、その生産力・生命力そのものを崇拝するわけではない。歴史の中に根拠のある救い主イエス様を与えてくださった創造主なる神様を信じ、祈るのである。しかしアルテミスを信仰する人々はこれを理解しない。エフェソの社会に収拾できない騒乱が起こるのである。イエス様は「平和ではなく、剣をもたらすために来た」(マタイ10:34)と言われた。福音は対立を乗り越えなくてはならない。混乱が起こっても、最終的にそれが収拾されていくことが重要である。福音にふさわしい社会に、少しずつ不思議な形で変えられていく、そういう道筋が神様によって敷かれている。
◇騒乱を鎮めるために3タイプの人々が登場する。アジア州の祭儀を司る高官、これはローマ皇帝を礼拝させる役人。ユダヤ人たち、これは偶像礼拝をせず、唯一神を信じる。町の書記官、これは法の下に治安を守る人々。こうした人々は、全面的にパウロの福音を支持しているわけではない。しかし不思議なことに、結果的にその伝道の働きの中に組み入れられている。そしてこの町に福音に裏付けられた秩序が創造されようとしている。イエス様は「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。」(マタイ10:23)と言われた。パウロたちはエフェソから逃げ出すまでには至っていない。そこに踏みとどまり、福音を宣べ伝え続けた。色々な信心が渦巻き、様々な宗教の総本山が林立しているただ中で、初代教会の人々が経験した伝道の戦いを私たちも一緒に戦う時、私たちの社会の中にも福音が根づき、今までにない神様の恵み、本当の平和と本当の義しさがそこに打ち建てられていく。私たちもそのことを確信し、福音にしっかりと立ち、福音に生きるものでありたい。
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