2021/8/29
「主イエスと共に混沌を生きる」
マルコによる福音書1:12〜13
協力牧師 中野 実
◇今、日本は大きな混乱の中にあるが、その混沌としている状況の中で私たち信仰者ができることがある、それはすべての現実(経験)を神様の視点から見直すということである。聖書によれば私たちは神様から離れてしまっていて失われた存在である。しかし、私たちの造り主である神様がそのような失われた存在を取り戻し、私たちに本来の人間性を回復させようと働いてくださっている。そのような新しい人間創造の物語を語っているのが新約聖書のイエス・キリストの物語である。
◇マルコの福音書の序(プロローグ)は預言者イザヤの言葉で始まる。神ご自身の新しい救いの御業の開始を告げる言葉である。神様と私たちの間には罪と死の力によって、険しい断絶ができてしまっていた。しかし、神様の側からその断絶を乗り越え、神様のみもとへ直接行くことのできる素晴らしい道を開通してくださった。それがイエス・キリストの到来なのだと、まず告げる。
◇続いてイエス様の洗礼の記事が語られる。なぜ罪のないイエス様が罪の赦しのための洗礼を受ける必要があったのか。それはイエス様が洗礼において罪のうちにある私たち人間と一つになってくださったのである。そして、私たちは、神の子イエス様と一つにされ、共に道を歩み続けることが求められ、その歩みの中で、本当の人間らしさを身に着けていく。
◇そして本日与えられた聖書箇所で、聖霊はイエス様を荒れ野に送り出す。これは出エジプトの40年の放浪とそれでも民に機会を与える神を想起させる。また、イエス様が野獣と平和におられた出来事は、イエス様がサタンの誘惑に勝利されて新しい救いの出来事を成し遂げてくださる事を指している。この後イエス様は十字架と復活へと向かう歩みを開始され、新しい創造を実現される。
◇混沌とした現実の中で、神様は私たちを新しく造りかえ、かけがえのないものとして回復してくださる。そのような新しい創造という神様の大いなる御業に参与する者とされている栄光を喜びながら、私たちは今日何をなすべきなのか考えつつ、与えられた使命、課題を誠実に担っていきたい。
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