礼拝説教


2021/9/26

「イエス様とは何者か」

マルコによる福音書8:27〜30
伝道師 上田充香子


◇「あなたはわたしを何者だと言うのか。」という主イエスからの言葉は主イエスが弟子たちに問われた言葉である。しかし、弟子たちと同時に私たちにも語りかけられている言葉である。この問いかけに私たちはなんと答えるか。

◇この箇所はマルコによる福音書の折り返し地点である。ここから主イエスが弟子たちを弟子として教育することを新しく始められ、また主イエスがエルサレムでの十字架に向かって歩みを始められるからである。主イエスはこの時点から人間の罪を全て負って迎える、十字架の死というゴールを見ておられる。しかしこの主イエスとは対照的に、弟子たちはこのゴールは見えていない。

◇主イエスは弟子たちに問われた。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」弟子たちを代表してペトロが答えた。「あなたはメシアです。」しかしこの段階では「メシア」という言葉は油注がれた者、王などといった国を治めるような政治的権力も持った者という意味で語ったのである。つまり、ペトロや弟子たちも、本当の意味で主イエスがどなたかを理解できていないことが分かる。しかし、主イエスだけがそのことをご存知で心に留めておられた。

◇このペトロや群衆のように私たちもまた主イエスが何者かということに物分かりが悪いのではないだろうか。主イエスに自分たちの期待するイエス像を投影して勝手に期待し、期待外れだと勝手に落胆してはいないだろうか。主イエスは、私たちが抱く期待とは全く違った形で私たちを救おうとなさるのである。王や預言者など国を治め、いかなる権力にも立ち向かうような指導者とはかけ離れた姿で、罪人として十字架に架かってくださった。それが主イエスである。主イエスはそのように私たちにご自身がどなたか、「罪から救う救い主である」ことを知らせ続けてくださっている。なぜなら、主イエスが誰かを知ることが出来たところに本当の救い、私たちを立たせる希望があるからである。主を知り、主イエスによって立たせていただく歩みをここから歩み出そう。

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