礼拝説教


2021/10/10

「天と地がつながるとき」

マタイによる福音書18:15〜20
神学生 小倉 裕子
—神学校日礼拝・伝道献身者奨励日—


◇ある人が、同じ信仰を持つもう一人の人に対して罪を犯した。それは、確かに今私たちの生きる現実の中で起こること。主イエスが私たちに伝えたことは、必要な配慮をしながら、互いの関係の中で罪を明らかにすることであり、相手がそれを受け入れることである。この時主イエスが何よりも求められておられるのは、兄弟を得ることであり、壊れてしまった関係の回復である。

◇しかしそれでも、相手が聞き入れないこともある。その時には彼を異邦人か徴税人のようにみなしなさい、と主イエスは言う。私たちはこれを聞くと、私たち自身が突き放されたような気持になるかもしれない。しかしこのことは正しく受け止める必要があると同時に、それでも私たちとの関係回復を求める主イエスの姿がある。

◇18節で「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」と主イエスは言われる。罪を犯した人への対応について、最終的に教会が判断をすることになる。これは、地の上で、つまり教会での判断に、天にまで影響を与えるような大きな権威が与えられているということと受け取って良いのだろうか。

◇ここで言われているのは、未来に起こる出来事が、もうすでに天で決定されていた出来事である、という意味をも、含んでいるということである。私たちが教会で決定することがすべて、天において自動的に承認されるというのではない。もうすでに神さまの決定があり、その決定にわたしたちが忠実に従うということ。神さまの導きによって、わたしたち教会がその目的に従って決定することができると、約束されているのだ。

◇私たちは、天の国の出来事に忠実に仕えることがゆるされている。私たちは、天ではなく、この地上で起きた、十字架と復活の出来事によって、ただ恵みのなかに生かされているのである。
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