2021/12/5ー待降節第2主日ー
「我らは舟上運命共同体」
使徒言行録27:13〜26
牧師 古屋 治雄
◇パウロは今、囚人とされローマへと移送される船路にある。クレタ島南岸の「良い港」に着いたが、ここは冬を越すには向いていない。ローマの百人隊長ユリウスはパウロをはじめ何人かの囚人を確実にローマに届ける任務を負っていた。また船が予定通りに到着しないと大きな損失を被る商人も乗っていた。それぞれの生活がかかっていたのである。パウロの警告(10節)にもかかわらず、冬を越すにはより良いと思われるフェニクス港に向けて出航したため、船は台風のような暴風に巻き込まれてしまう。
◇同じ船に乗るということは運命共同体になることである。それが危機に陥っている。専門家の船乗りたちも最善を尽くすが、なすすべもない。しかしここでパウロは、航海の専門家ではないが、神様から大きな役割を与えられている。この困難の中で、何を拠りどころとすべきか、何を優先すべきかを神様がパウロを通して示してくださっている。
◇この遭難は、歴史の中では小さく見える。しかし、歴史を進めるのは神様であり、その神様が歴史を変えてくださることをパウロは確信している。パウロにとって、皇帝の前に出頭すること、船に乗っているすべての人々を救うことは神の必然なのである。(24節参照)
◇我々の日々の生活にも困難がある。我々は福音を伝える役割を頂いている。我々は小さい存在だと思ってしまう。敗北感を味わうこともある。しかし我々にとって何が現実なのかということを受け止め直す必要がある。困難の中で福音を担う者、信仰に生きる者を神様が守って下さる、そのことの方が現実なのである。神様は共同体全体を救ってくださる。(福音書の嵐鎮めの記事マルコ4:35〜および平行箇所参照)
◇現在の我々にも危機的な課題は多い。しかしその闇が現実なのだという考えは、クリスマスによって改められなければならない。神様の光を思い浮かべることのできない現実を、私たちは想定してはならない。私たちは今、ここに到来してくださっているイエス様によって、新しく神様の恵みの中に生きる運命共同体とされているのである。
(C) Asagaya Church, United Church of Christ in Japan, asagaya-church.com