◇山道を歩いて、森の奥などにきれいな花 が咲いているのを発見する。もしかしたら 誰にも見られないかもしれないのに、一生懸命きれいに咲いている。私たちは「何を着ようか」と繰り返し悩むが、それは貧しさのためより、人にどう見られるだろう、どう評価されるだろうとの悩みだ。
主はそういう私たちの目を、野の花に向けさせる。山道に咲く花は人に見られるために咲くのではない。誰も見ていなくても神様が見ておられる。そして神様は一つ一つの野の花、空の鳥を祝福の内に生かして下さる。
◇イスラエルでは春になると、野原に美しい花が一斉に咲くが、夏には暑くて一斉に枯れてしまう。あっという間の短い命だが神様はそんな花たちも、栄華を極めたソロモン王よりもはるかに美しく咲かせてくださる。私たちは何も心配しないで、神様に信頼してお任せしておけばよい。
◇思い悩むのは「異邦人」のすることだという。それは聖書の神とは別の「神 」を信じている人たち。人間の様々な必要や要求に応じて、それぞれの神様がいる。戦争の時は戦争の神様、平和の時は平和の神様。しかしそれらは神ではなくて、実はそれを求める人間の気持ちそのものなのだ
◇私たちも 「神様、~ができますように」と祈ることがある,しかし「32:あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」。神様は私たちが考える以上に、私自身に必要なものをご存じで、必要なときに必要なだけ与えて下さる。その神様への徹底した信頼を持つことが、「神の国と神の義を求める」というととだ.「33:何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。
◇「木は自分で動きまわることができない.神様に与えられたその場所で、精一杯技を張り、許された高さまで、一生懸命伸びようとしている。そんな木を、私は友達のように思っている」(星野富弘)。色んな心配のある生活であり時代だが、周りからどう見られているかを気にしたり、みんながちゃんと認めてくれるだろうかと気にして思い悩んだり、焦って自分で働きまわらなくても、神様が見ていて支えていて下さる。ここに、こういう形で生きているのは、自分で選んだのではなく、神様によって生かされているのだ。「許された高さまで、一生懸命伸びよう」とすることが、私たちの人生だ。そういう生き方をする私たちに必要なものを神様はすべてご存じで 最善をなしてくださる。「思い悩み」を捨てて、父なる神への信頼に堅く立ちたい。
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