◆06.28「救いは、主にこそある」ヨナ書2:1-11、マタイ福音書12:38-41
◆06.21「メシアの道」イザヤ書53:1-10、マルコ福音書8:27-9:1
◆06.14「触れるイエス」マルコ福音書7:31-37、コリントI 12:12-26
◆06.07「分け合う生活」マルコ福音書7:24-30
◆05.31「約束の聖霊」使徒言行録1:l-8、2:1-8
◆05.24「人生の地図」マルコ福音書12:28-34
◆05.17「表層と深層」マルコ福音書7:1-23、エフェソ3:14-19
◆05.10「わたしについてきなさい」マルコ福音書1:14-20
◆05.03「乗り込むイエス」ヨナ書2:3-10、マルコ福音書6:45-56
◆04.26「湖畔のおいしい朝食」ヨハネ福音書21:1-19
◆04.19「あなたの重荷を主にゆだねよ」詩編55:l-24、マタイ福音書11:28-30
◆04.12「復活祭の転換」マルコ福音書16:1-18,14-18、コリントII
5:16-21
◆04.05「神の子の死」ゼカリヤ書9:9-10、マルコ福音書15:21-41
「救いは、主にこそある」ヨナ書2:1-11、マタイ福音書12:38-41
北見さとみ
◇「しるし」を求める人々に、主イエスは「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」(39節)と答えられた。聖書は「しるし」を求める全ての人々を、神との関係で厳しく評価した。
◇預言者ヨナは旧約聖書ヨナ書の主人公である。ヨナは天地を創られた神を信じ礼拝する群れの一人であった。それゆえにヨナはわたしたちの中の一人でもある。神はヨナを用いてご自身の業を成し遂げようとされた。しかしヨナはその命令を拒否し神から逃亡した。神から逃亡したヨナはいっしか荒れ狂う海の上を漂っていた。これは神から逃亡した者の姿を示し、神から距離を保つ生き方こそ失われた存在を示している。ヨナは主イエスが表現した「よこしまで神に背いた時代の者」の一人であった。(ヨナ書1章)。
◇海に投げ込まれたヨナを呑み込み救ったものは大きな魚である。魚は神の救いの業を示めしている。神の愛を裏切る者たちでさえ神の救いは与えられる。これが「ヨナのしるし」である。ヨナは自分の意志で神から逃亡した。神の命令の重さ、将来の不安からの逃亡。さらに神から距離を保つ生き方の中に楽しさと自由を求めた。ヨナは自分で「神に背いた時代の者」となった。しかしヨナは自分の人生の闇の中で、神から逃げることが死を意味し、失われた存在そのものであることを知った。これも「ヨナのしるし」である。
◇ヨナ書2章は感謝の詩編の形をとったヨナの祈りである。神の愛と救いにふれ、悔い改め、彼の人生の出来事全てが神の救いの業へと繋がっていることを知った者の祈りである。神はヨナを救われた。それゆえ神はわたしたちをも、救ってくださる。
◇主イエスは「ここにヨナにまさる者がいる」(41節)と語られた。ヨナ書の奇跡は主イエスの十字架の死と復活を示す。主イエスはわたしたちに代わって、死の闇の中へ落ちていかれた、しかし神は主イエスを甦らせてくださった。それゆえわたしたちにとって、死と絶望は終わりを意味しない。必ず希望と命がある。
◇「よこしまで神に背いた時代の者たち」であるからこそ、「ヨナのしるし」が与えられる。「救いは、主にこそある」。わたしたちに希望が与えられている。これがわたしたちへの「ヨナのしるし」である。
「メシアの道」イザヤ書53:1-10、マルコ福音書8:27-9:1
大宮 溥
◇フィリポ・カイサリアはパレスチナの北にあり、四季雪を頂くヘルモン山がそびえ、そこからヨルダン川が流れ出す所で、ここに立つとガリラヤ地方から、遠くユダヤまで見渡せる。主イエスはここで、これまでのガリラヤ伝道をしめくくり、エルサレムに向かう人生最後の段階に進もうとされたのである。
◇ここで主イエスは「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」(27節)と間われた。人々の評価は「イエスは預言者」ということであった。それに対して弟子達は「あなたはメシア」(29節)と、最初の信仰告白をしたのである。預言者は言葉で神の意志を伝えた。しかし「メシア(救い主)」は、その人格、存在そのものが、神の現臨を伝えるものであった。神は人間の世界で人間と一対一の関係に入り、共に歩む存在となって下さったのである。
◇主イエスはペトロの信仰告白を聞いた時、それを誰にも話すなと戒められ、そして弟子たちだけに御目分の最も深い内面を示された。それは苦難と死の道であった。それは弟子たちが思い描いていたメシア像とは大きく違っていた。それ故ペトロは主をわきへ連れて行っていましめた。ところが主はペトロよりも激しい勢いで彼を叱り「サタン、引き下がれ」(33節)とそれを斥けられた。
◇当時の人々が描いたメシア像は、ユダヤの国を独立させる軍事的政治的勝利者の姿であった。それに対して主イエスが心に描いていたのは第二イザヤの「主の僕」の歌(53章)が示しているような、自分の犠牲によって人々を救うメシアであった。それはr必ず」歩まなければならない神の命令、「神的必然性」の道であった。
◇この苦難の姿は、神に裁かれた罪人の姿である。救主はそれを罪人に代って引き受け、自らその犠牲となられたのである。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることを固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり……へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2:6-8)。メシアは、神のさばきの鉄槌をふるうのでなく、そのさばきを自分が代って引き受け、人間を赦し救おうとされたのである。
◇このメシアこそ「ちかくましまさば、夜も夜にあらじ」(讃美歌38)と、われわれが仰ぐ救い主である。その恵みを思う時、感謝と共に、われわれも神と人のために「自分を捨て、自分の十字架を背負って」主に従う道を歩みはじめるのである。
「触れるイエス」マルコ福音書7:31-37、コリントI 12:12-26
大宮 溥
◇主イエスは、ユダヤの北にあるフェニキアの町ティルスを訪れた後、更に北上してシドンに行き、そこからはるか南東のデカポリス地方を廻り、大きな円を描くような旅をして、故郷のガリラヤに帰って来られた。これは先週学んだシリア・フェニキア生まれの女性との出会いカ機縁となっている様に思われる。あれ以来主は、ユダヤ人だけでなくすべて求める人に神の恵みと真理を伝えようとされたのである。
◇旅から帰って来た主イエスのところに「耳が聞こえず舌の回らない人」(32節)が連られてきた。主イエスは「この人だけを群衆の中から連れ出」された(33節)。主はこの一人に心を集中し、一対一の関係を持たれた。キリスト教の神観では、神は宇宙も容れ得ない大きな存在であるにもかかわらず、取るに足らないほど小さな人間を無視したり、十把ひとからげには扱われない。一対一の人格的関係を結ばれる。主イエスを通して、神は彼と向かい合われた。
◇次に主は「指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた」(33節)。その人に触れ、その人と一体になったのである。人間の窮極の看護は「手を当てること」「手当て」である。また今日人間の接触不能症的傾向が深刻な問題になっている。愛情のこもったスキンシップによって、愛されている温かさと喜びを経験する時、人間は安定し、自信をもち、生活力を発揮する。ところがその経験が之しい時、本当は真の触れ合いによって強められなければならないのに、接触を拒否し、ますます孤立し、自滅するのである。主イエスは、助けを求める人に、深く強く温かく触れて下さった。
◇イエスの行動だけでなく、彼の存在そのものが、神が人間の遠くに離れておられるのでなく、人間に触れ、密着して下さっている事実を示している。インマヌエル、神は我々と共におられる姿である(マタイ1:23)。われわれはこのことを、洗礼や聖餐という聖礼典を通して、神に触れる経験として知らされるのである。
◇主イエスの御業に触れた時、人々は「この方のなさったことはすべてすばらしい」(37節)と驚嘆した。これは天地創造の時神が世界をごらんになって「見よ、それは極めて良かった」(創世記1:31)と言われたことに対応している。歴史の経験と共に最良の世界は、悪と戦いと悲しみの世界になった。しかしこの世に、主イエスが来て、われわれに触れて下さる時、我々は主の愛と力に触れて強くせられ、愛をもって隣人に触れる生活に変えられるのである。
「分け合う生活」マルコ福音書7:24-30
大宮 溥
◇イエスさまの国はユダヤですが、その隣りにフェニキアがありました。この国の人々は大きな船を造って、アフリカに行きました。そして今まで住んでいたところを「シリア・フェニキア」(26節)、新しい土地を「リビア・フェニキア」と呼びました。この国は貿易によって国が豊かでした。この国の都ティルス(24節)に、イエスさまはお弟子たちをつれて行かれました。忙しい日ごろの生活から離れて、休息するためでした。
◇ところがそこに、一人の女の人が小さな娘と一緒に住んでいました。その娘は心の病気を持っていて、時々とても苦しみました。お母さんは、何とかしてこの子を助けたいと、いろいろなお医者さんにつれてゆきましたが、誰もなおすことができませんでした。その時イエスさまが自分の町に来られたという噂を聞きました。そこですぐ出かけてゆき、イエスさまの足もとにひれ伏して、助けて下さるように一生懸命頼んだのです。
◇イエスさまは困りました。弟子たちを休ませてあげようと思って来られた計画がだめになります。それ以上に、イエスさまは、自分は同じ国のユダヤ人を助けるために来たと考えておられたので、ユダヤ人の救いさえまだ十分にできていないのに、他の国の人にまで手をひろげることはできないと考えておられたので、困ったのです。そこで「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」(27節)と、ユーモアをこめて話されました。
◇ユダヤ人を人間、外国人を犬にたとえたのは差別だと怒る人もありましょう。しかし「小犬」というのは愛称で、主イエスの苦肉の答えでした。しかしあの母親は子供を思う一心から「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン層はいただきます」(28節)と訴えました。
◇この返事を聞いてイエスさまは、はっと気がつきました。自分は今までユダヤ人たちのことばかり考えていたけれど、他の国の人々をも、神様は愛してくださっているのだ。父なる神さまは、人間みんなを子供として受けとめておられるのだ。こう考えて、このフェニキアの女の子のためにも祈ってくださったので、この子の病気は癒されました。
◇主イエスは、神様から頂いた恵みを自分や仲間だけに止めておくのでなく、分け合う生活を始められました。こうしてキリスト教はユダヤから全世界へとひろがりました。分かち合う生活を築きましょう。
「約束の聖霊」使徒言行録1:l-8、2:1-8
大宮チヱ子
◇聖霊降臨日は、神の聖なる霊が与えられ、神の不思議な力が弟子たちに与えられた記念の日、恵みの日である。私共にもその聖霊が与えられていることを感謝し、更に豊かに注がれるように祈り求めたい。
◇使徒言行録は、キリストの弟子である使徒たちが、主イエスの昇天後に行っためざましい宣教活動の記録である。しかもただ弟子たちの働きを記録しているだけではなく、彼らを動かし、彼らを通して力強く働かれた聖霊の御業を伝えている。本書がに聖霊言行録一とかに聖霊行伝一といわれるのはそのためである。
◇本書は著者ルカが、ルカ福音書の続巻として書き(1:1)、主イエスが、十字架の苦難を受けられた後、復活して、40日にわたって御自分が今も生きておられることを告げ、二つのことを命じられたことから書き始めている(1:3-5)。その命令は(1)「エルサレムにとどまりなさい」と、(2)「父なる神が約束されたものを待ちなさい」であった。
◇「父の約束されたもの」は聖霊であり、地の果てに至るまで出て行く力、主の証人となる力を与える神の霊、神の力である。多くの亘教師、伝道者が行く先を知らないで、世界の各地に、そして日本に福音を伝え、多くの困難や迫害の中でも臆することなく主を宣べ伝え続けることができたのは、この聖霊の助けによるのである。
◇主の復活から50日目、五旬祭の日、主の弟子たちに聖霊が与えられた。一同が「ーつになって」、「集まって」いた時である。彼らは「心を合わせて熱心に祈」り続けることによって、「一つになっていた」(1:13-15)。祈りは力の源、かくれた力であり、一致の出発点である。教会は祈る群、互いに祈り合う群でなければならない。更に彼らは、主を裏切ったユダの欠けを補い、ユダと同様に主にそむき罪を重ねている深い痛みを悔い改め、「主の復活の証人になるべき」(1:22)群を整えて心を一つにした。主の約束を信じて、祈りつつ、一つになって待っていたこの群に聖霊が与えられた。
◇聖霊は、突然、神が定められた時に、天から、神の御許から神の恵みの贈り物として、一人一人に、しかも一同に、祈り待つすべての人に与えられた。
◇聖霊を与えられた人々は、「だれもかれも」、すべての人に「神の偉大な業」を語り理解させることができた(2:5-11)。神は「力と愛と思慮分別の霊をくださったのです」(IIテモテ1:7)。
「人生の海図」マルコ福音書12:28-34
大宮 溥
◇今日の世界は、経済・政治・人生の各分野で「海図なき航海」をたどっている。船が嵐にあって海上を漂流する時、船乗りは北極星をみつけて、自分の位置と行くべき方向を確認する。不動の一点を基準にして、新しい地図が作られるのである。人生の地図も同様である。
◇イスラエルの人々は、週に一度の安息日礼拝のたびに「シェマー」(「聞け」という意味のヘブライ語)と称する御言葉を聞いた。「イスラエルよ、聞け。わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし。精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(申命記6:4 )。主イエス・キリストは「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と質問された時、このシェマーを挙げられた(28節以下)。「掟」は旧約聖書全体、聖書全体を意味する。主はこれが人生航路を導く不動の原点であると語られたのである。
◇昨年なくなったヴィクトール・フランクルは。アウシュヴィッツの地獄のような生活の中で、「人生の意味は何か」と怒りをこめて問うたのであるが、何の答えも与えられなかった。しかしその答えなき沈黙の中で。彼は声なき声が「お前はそのようなお前の人生をどう生きるのか」と問いかけて来るのを感じた。そこから彼は、今までの自己中心的な人生から、神中心の人生へと「コペルニクス的転回」をした。シェマーは。そのような人生の転回と方向づけを与える神の言葉である。
◇われわれの人生地図の原点である神はイエス・キリストを通してその本当の姿をあらわざれた。それは万物の中心である神が、御自分から見て周辺(へり)である、迷い出て減ぴようとしている人間のところに来られた姿である。クリスマスに、御子イエスがベツレヘムの馬小屋に生まれたことが語られる。当時の世界の中心はローマであり、そこに君臨する皇帝と考えられていた。しかし主イエスは、そのような中心でなく。周辺に生きる人間のところに来られた。それは神から離れて迷い出ている者のところに、神が彼らを追い求め、来訪されたのである。
◇これが神の愛である。愛とは愛する者を、自分の心の中心、生活の中心に置くことである。キリストの十字架は、キリストが中心から出て、周辺のわれわれのところに来、われわれの苦しみと死を、自分の身に引き受けてくださったことである。それによって。周辺のわれわれが中心に迎えられた。この愛に応えることがうながされる。
「表層と深層」マルコ福音書7:1-23、エフェソ3:14-19
大宮 溥
◇主イエスの時代のユダヤ社会は「昔の人々の言い伝え」を守る、伝統重視の社会であった。過去を手本にして生きていた。これはわれわれの社会とは正反対で、現代は過去を批判し変革が求められる。しかし新しい幻や見通しが得られないで、不安と不満にゆれている。
◇こういう時代に思い起すべきことは、人間の今日あるのは、過去の長い歴史の積み重ねの上に立っていることである。人間は母胎の中で生物進化のコースを一つ一つ繰り返して生まれて来る。そして生まれて来た後の成長は、人間の原始時代からの歴史を土台として今日と明日を築いてゆくのである。その意味でわれわれの先祖が大切にしてきた生活の基礎と、われわれもまた基礎としてゆかなければならないのである。
◇大江健三郎氏と南アフリカのノーベル賞作家 、ゴーディア女史との往復書簡で、最近日本で頻発している子どもの凶悪犯罪が取り上げられている。それは世界が巨大な暴力におおわれており、子供はそれをうつす鏡、小さなモデルである。そして子どもたちが「かれらに本来そなわっている誇りの力によって、回復に向かってもらいたい」。そこで問題になるのはに子どもだけでなく、大人にも眠っている、痛みと死を感受する力を回復すること」である。それは主イエスが律法の要約として説かれた、神を敬愛することと隣人を愛することを回復することに他ならない。真の伝統とは、そのような人間回復の力なのである。
◇ところが主イエスの当時の人々は、「昔の人の言い伝え」を守ろうとして、その枝葉にこだわり、根本を忘れていた。食前の手あらいにこだわり、生活の表層を問題にして、人間の深層にある深い病いと腐敗を忘れていた。浄・不浄にこだわるのは、世界を聖と俗との2つの領域に分ける考えからである。しかし主イエスにとっては、神の創造された世界は感謝して受け取るべきものであった。むしろ問題は、その神の前で人間がどのような状態にあるかであった。主は人間の内に恥ずべき、暗い、サタン的な力か吹き荒れていることを指摘されたのである。
◇人間は表層の輝きと深層の影との間に深い矛盾、破れを感じている。しかし人間の内奥の影と憎しみも、実は愛と真実な思いが、傷つき病んだ姿である。愛と真実が火のように燃えずくすぶり煙っているのである。主イエスは、このような不完全然鏡の人間の現実に密着し、しかも燃える愛をもって、われわれに触れて下さった。ここにわれわれを内奥から新たにする力がある。
「わたしについてきなさい」マルコ福音書1:14-20
野崎卓道
◇主イエスはガリラヤ湖の岸辺で、シモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとその兄弟ヨハネに目を留められた。主は普通の師弟関係とは違い、自分の方から弟子を招かれる。主は彼らをご覧になった時、すでに彼らの一切の罪をご自分で引き受けようと心に堅く決心されていた。主は私達一人一人にも、そのような愛の眼差しを注いで下さり、私達の罪を百も承知で私達をご自身に従うように招いて下さる。
◇主人に仕える生き方は今日では古くさいもののように感じられている。しかし、私達が自分自身から解放され、本当の自由を獲得するには、主に仕えるという生き方以外に道はない。主は私達以上に私達に必要なものをご存じたからである。
◇しかし、この主に仕える生活は、決して楽しいことばかりではない。信仰を持ったがゆえに受ける苦しみというものもある。モーセに導かれてエジプトの地から脱出したイスラエルの民は、主の命令に従ったばかりに、荒野での40年間に及ぶ生活を強いられた。特にモーセは、自分の意に反してイスラエルの指導者にさせられ、荒野での辛い生活を強いられ、人々からも非難を浴びせかけられるはめになった。
◇しかし、この荒野での40年の旅路は、その後のイスラエルの民の信仰の原点となった。この旅路を終えた時、後から振り返って、主が彼らを最後まで見捨てずに、赦しの愛をもって根底で支えてくださったことを彼らは知ったのである。私達の生活も、根底において主の赦しの愛によって支えられているのであり、主は最後まで私達を見捨てたまわない。
◇主はさらに、ご自分に従う者に「人間をとる漁師にしよう」と約束して下さる。主は私達を和解の福音の使者として隣人へと遣わされる。私達は主に従う生活の中で、今までの人間関係を新しく受取り直すのである。私達にとって「網」を捨て「父」を捨てるとは、今までしていた仕事や家族との関係を主との関係の中で新しく受け取り直し、赦しの愛をもって、職場の人や家族に接するようになることを意味している。周りの人々が変わらなくとも、私達自身が主によって変えられるということだけは確実である。時には、自分がクリスチャンであることがもとでギクシャクすることもある。しかし、私達は繰り返し、礼拝において説教を聞き聖餐を頂き、罪を赦され悔い改めをもって一週間を始めることができる。また、同じ主に結ばれた兄弟姉妹が大勢与えられており、互いに励ましあいながら進んでいくことができるのである。
「乗り込むイエス」ヨナ書2:3-10、マルコ福音書6:45-56
大宮 溥
◇主イエスの生涯は、祈りに始まり祈りに終った。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(1:35)。そして人々を去らせた夕べに「祈るために山へ行かれた」(6:46)。祈りこそが主の一日の働きの源動力であった。そのために主は「弟子達を強いて舟に乗せ、向こう岸に行かせた」(45節)。人々はパンの奇蹟の祝宴の中にもう少しくつろいでいたかったかも知れない。しかし主は人生の座標軸の横軸である人との交わりをしっかり貫くためにも、それを断ち切って神との交わりである縦軸をしっかりと据えようとされたのである。
◇一夜を神と共に過された主イエスは、夜明けのころに、湖上の弟子たちが嵐の中で舟を漕ぎ悩んでいるのをご覧になり、湖の上を歩いて舟に近づかれた。神は「天を広げ、海の高波を踏み砕かれる」(ヨブ記9:8)。そして彼らの「そばを通り過ぎようとされた」(48節)。人は神を正視できない弱き罪人であるので、神の過ぎ去られる背後から仰ぐことができるだけである(出エジプト記33:22)。従ってこれは神顕現の表示である。主は神の力を帯びた方として弟子たちに出会って下さったのである。
◇思いがけない主の出現に、弟子たちは恐れおののき、叫び声をあげた。しかし主は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(50節)と語りかけられた。この「安心しなさい」は、ヨハネ福音書16章の主の訣別説教の結びの「あなたがたはこの世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(16:33)の中の「勇気を出しなさい」と訳された言葉と同じである。わたしが来て共にいるので、安心せよ、勇気を出せと励ましておられるのである。
◇そして「イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた」(51節)。主イエスがわれわれの人生航路において、われわれの生活の中に乗り込んで来られることによって、試練を突破し、目的地に着くことができる。われわれの先輩の一人は、第二次大戦中ミンダナオ島で負傷し死を覚悟した時、「主よ共に宿りませ」の讃美歌を口ずさみ、主に支えられて危機を脱した。主は彼の舟に乗り込まれたのである。
◇主が乗り込んで来でわれわれの舟の舵を取られる時、われわれは不安と思いわずらいから解放され、勇気と希望をもって人生に立ち向かう者となる。クリスチャンの生き様の鍵は、第一に神の御意に勇敢に従うことと悔い改めて再起することである。
「湖畔のおいしい朝食」ヨハネ福音書21:1-19
小塩節先生
◇主イエスの弟子であるペトロ達は、イエス様が十字架におかかりになった後、ガリラヤ湖に行って魚捕りを再び始めた。星一つ出ていない暗い夜。何もかも暗かった。何よりも暗かったのは、ぺトロ達の心の中。主は亡くなられた。しかし、ペトロはイエス様のことを「私は知らない」と三度も言った。誰でも人間は自分がかわいいから、自分を守るために嘘をつく。これが人間の姿である。
◇一匹の魚もかからない。夜が明けてきた頃、岸辺に誰かが立っていた。イエス様である。イエス様は「網を右の方に入れてご覧」と言った。網を右の方に入れると、舟がひっくり返りそうなくらい魚かいっぱい網にかかった。その瞬間に、それがイエス様であることが分かった。ペトロは服を着て水に飛びこみ、泳いで岸辺にたどり着くと、そこには、炭火があり、すでに魚とパンが用意してあった。イエス様はパンと焼きたての魚を弟子達にお分かちになった。弟子達は、イエス様から頂いたお食事を美味しく頂いた。こんなに豊かな、美味しい朝ご飯はなかった。
◇イエス様を中心にして頂くお食事は、教会では聖餐式という形で今も受け継がれている。テーブルを共にして、食物を分けあって頂く時に、そこに、神の国がすでに映されている。その聖餐式を守るために私達は教会に集められている。今日初めて教会にお出でになった方も「あのテーブルの食卓に自分も加わろう」と是非何時の日かお思いになって頂きたい。その時には、本当に、人生の暗い重い夜がふっきれる。そして、どんな逆境にあっても、イエス様が喜びの食卓を用意して下さる。
◇食事が終わって立ち上がろうとした時、イエス様はペトロに三度お聞きになった。「汝我を愛するか」。ペトロはいきり立って答えた。「愛してますよ」。それでも彼は、また失敗をする。何度も彼は人生において失敗をする。これが人間の本当の姿である。一筋に、完壁に、間違いなく、聖人として一生を送るなどということはありえない。私達も失敗をしながら、頃きながら、転げながら、ひっくり返りながら、しかし、やっぱり、イエス様との食卓を通して本当の物について、歩んで参りたい。
◇今日本の家庭では目を見合ってお食事を頂く姿を消しつつある。しかし、もし、日本の家庭で、親と子が顔を見合って、一緒に食事を感謝して頂くということが復活したならば、日本の家庭もまた、少しづつ元に戻っていくのではないであろうか。「湖畔のおいしい朝食」を味わうだろう。
「あなたの重荷を主にゆだねよ」詩編55:l-24、マタイ福音書11:28-30
大宮 溥
◇今年度の教会標語である「あなたの重荷を主にゆだねよ」(詩編55:23)は、ペトロI5:7に「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい」という言葉で引用されており、代々の信仰者を導いてきた。
◇人生にはいろいろな重荷がある。「人の一生は重き荷を負うて遠き道を往くが如し。油断すべからず」(徳川家康)。大村牧師が結婚する人たちに「互いに重荷を担いなさい」(ガラテヤ6:2)の御言葉を贈り、この重荷とは共に歩む人の欠点や失敗というだけでなく、その人の存在そのものでもあるといわれた言葉が心に残っている。またこの重荷は、無理やり負わさせられるものだけでなく、神のためや人のために、自ら負うべき責任・主の僕が進んで負うように命じられている十字架でもある。しかしそれを負うことは決して容易ではない。それ故それを「主にゆだねよ」とすすめられるのである。
◇詩編55では、激しい悩みと耐えがたい重荷に陣く詩人が、神に向って助けを求めて祈っている。その荷が重いだけでなく、その中で一番助けとなるはずの人が、却って自分を蹴落し、打ちのめそうとしている。この苦しみの中で詩人は、初めはそこから逃げ出したいと願う(7-8節)。鳩のように臆病に、現実逃避をはかろうとする。ところが10節になると「主よ、彼らを絶やして下さい」と、敵の滅びを求める激しい祈りになる。この「復讐の祈り」はキリスト教信仰からは問題であるが、しかしこの詩人が、現実逃避から転換して、厳しい現実に踏み止まり、真実か不真実に勝利するため、腰をすえて戦おうとしている点は大切である。
◇しかし人間は弱く脆い。それ故孤独で戦うのでなく、神の助けを祈り求めるのである。この助けを経験した時、「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを助けてくださる」と、人々にすすめる者となったのである。
◇この教会標語は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)の主の言葉を思い起させる。そこでは「わたしの範」(28節)といわれている。「輌」は「首木」で、荷を運んだり石臼をひいたりする動物二頭が同じ歩調で歩めるために首にかけられた木のことである。主がわれわれの生活のぺ一スに合わせて歩んで下さる。主が連帯して下さるのである。それゆえ、われわれも主のぺ一スに合わせて歩もうと勇気をふるい起すのである。これは慰めであると共に励ましである。
「復活祭の転換」マルコ福音書16:1-18,14-18、コリントII 5:ユ6-21
大宮 溥
◇最初の復活日の朝、3人の女性たちが敬愛の思いを込めて、主イエスの遺体に香油を塗ろうと墓に行った。春の美しい風景とは対照的に、彼女たちの心は冷たく暗く胸をえぐられるような痛みを覚えていたにちがいない。墓の入口には、大きな石が、キリストと自分たちとを隔てる死の現実のように、立ちはだかっていた。ところが「目を上げてみると、石は既にわきへ転がしてあった」(4節)。大きな力が働いたのである。それは死の力を打ち砕き、キリストを死の眠りからさます力であった。神の命が死を砕き、神の愛が人間の憎しみを砕いたのである。
◇墓は空虚であった。主は死の束縛を断ち切って立ち去られたのである。古代教会では復活祭には深夜に燭火礼拝を捧げた。死の闇を追う光こそ復活の主の命をさし示していると考えたからである。今日の人間は電気のおかげで、昼も夜も変らないような光の洪水の中で生きている。その上原子爆弾の光は何十万の命を一瞬のうちに殺した。そのような中でわれわれは、物理的な光ではなく、命の光、道義の光を必要としている。それは私たちの心に愛を育み、他者に対する暖かさを私たちの中に作り、より大きな自由と正義と平等の世界を作るためにわれわれを促すような光である(C.S.ソン『闇に輝く光』)。イエス・キリストの復活によって、そのような光が照り出たのである。
◇墓の中の天使は、主イエスがガリラヤヘ行かれると告げた。ガリラヤは主イエスが宣教を開始された出発点である。その働きは無駄に終ったかに見えたが、復活によってそれが新しく受けつがれたのである。主は「敗者復活の恵み」(小田嶋嘉久)を与えられる。「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(コリントII 5:17)。これによってわれわれの人生に大きな転換が起るのである。
◇それは第一に、死から命への転換である。ゴッホの「ラザロの復活」は、ラザロの横たわっている墓穴の中に明るい太陽を描き込んでいる。この命の太陽であるキリストは没することなくわれわれを照らすのである。第二にそれは、罪から救いへの転換、神と人間との敵対関係から和解への転換である。「和解」というギリシャ語(カタラゲー)は交換を意味する。主の命と聖がわれわれの死と罪と交換されたのである。第三に憎しみから愛への転換である。復活は「神の愛の能力証明」(ヴィルケンス)である。それが人間を憎しみから愛に変える。
「神の子の死」ゼカリヤ書9:9-10、マルコ福音書15:21-41
大宮 溥
◇30年前英国に留学した時、湖水地方の小さな教会で棕梠の主日の礼拝を守った。その前日マルティン・ルサー・キングが暗殺され、黄水仙の咲き乱れる平和な村とは対照的な厳しい世界の現実をつきつけられた思いであった。彼は人種差別をめぐる対立の中に身を置き、憎しみの力の犠牲となって、自分の身をもってそれを阻止しようとした。そのような犠牲の道を歩んだ人々の背後に、すべての人のために犠牲となられた、イエス・キリストの死と購いがあることを教えられたのである。
◇マルコ福音書15章は「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」という使徒信条の証言にまとめられる。特に、主イエスの苦しみと死がリアルにえかき出されている。ここで主イエスは人々の侮辱と嘲笑を浴びながら十字架についている。その頭上には「ユダヤ人の王」という罪状書きが打ちつけられている。王であり救い主であるという表示と死刑囚としての惨めな姿とが際立った対照をなしている。それを人々は、メシヤと自称するイエスの敗北と取った。しかし実は「他人を救うために自分を犠牲にする」姿のなかに、まことの救い主の姿が示されているのである。
◇主イエスは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(34節)と叫んで息絶えられた。これは絶望の言葉のように聞こえる。たしかに主イエスは神に捨てられ、滅びの海に投げ込まれたのである。それは神の支配に反抗して滅びゆく世界を、神がさばかれると共に、御子においてその世界の人間と連帯し、これを救うためであった。
◇しかしあの十字架上の叫びは、詩編22編の冒頭の言葉である。詩編22は、神に捨てられたかに見える信仰者が、絶望の中でも神を「わが神」と呼び、神に信頼して自分を委ね、やがては神の恵みを人々に喜べ伝えるとの決意を表明している。主はこの詩編の第一節を口ずさんで息絶えられた。そして、主の死が何であったかを示す鍵は「本当にこの人は神の子だった」(39節)というローマの百人隊長の言葉である。彼は「自分を救わないで、他人を救う」教主の姿、すさまじいばかりの神の愛を見たのである。
◇神の子の死によって、第一にわれわれの罪は完全に償われ、赦された。第二に、われわれは死の只中にあっても主が共にいて下さるとの保証が与えられた。第三に、われわれは主の勝利にあずかって、打ち倒されても滅びないとの勇気を与えられる。