◇「十戒」はモーセがシナイ山において、神から預った二枚の石板に刻まれた戒律である。第一の板には「神に対する義務」(宗教性)、第二の板には「隣人に対する義務」(倫理性)に関連する戒めが記されている。2節の序文で「わたしはあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神」と告げられるが、その直後から「~してはならない」との禁止命令が繰り返され、「解放」と同時に「束縛」があって矛盾を感じる。しかし「~からの自由」はそれだけでは完成せず、続いて「~への自由」という、新たに目標とすべきものが示されなければならないのである。
◇第一戒はヤーウェに対する絶対的な礼拝を命じ、第二戒は偶像礼拝すなわち神を人の思いのままに利用することの禁止である。第三戒「主の名をみだりに唱えてはならない」は神名をまじないのようにして勝手に利用することの禁止。第四戒は安息日の聖別、季節やタブーを越えて七日に一度巡り来る主の日を重んじ、人間の都合でそれを変えてはならない。第五戒「父母を敬え」は、宗教性を語る前半と倫理性を語る後半の橋渡しである。親は子に神の権威を体現するものでなくてはならない。これらを前提に、後半は隣人への義務が語られる。
◇第六戒「殺してはならない」は生命を尊重し、生かし合う世界を築けと命じる。第七戒「姦淫してはならない」は結婚の契約によって成立する家庭の尊重。第八戒「盗んではならない」は所有権の尊重。第九戒「隣人に関して偽証してはならない」は名誉を尊重し、正義を守れと命じる。第十戒「隣人の家を欲してはならない」は貪欲の禁止。必要以上に欲しがるなと命じる。
◇主イエスは最大の掟として、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」、「隣人を自分のように愛しなさい」の二つを挙げられた(マタイ22:34-40、「敬神愛人」)。これらは十戒の前半と後半を集約したものである。
◇神を敬い、互いを生かし合うべきなのは、決して人間だけではない。「被造物が共存して生きのびるという事柄こそ、優先されなくてはならない。…人間の利益ばかりに執着する者は、被造物全体が、そしてそれと共に、人間もまた、滅亡していくのに手をかすことになる」(イェルク・ツィンク『美しい大地』)。
◇4年前の今日9月11日以降、陰惨な暴力が止まず、大規模自然災害が続発するこの世界では、特定の者たちだけでなくすべての被造物が尊重し合い、みんなで生き延びることを真剣に考えねばならない。そのときにこの「十戒」の教えが強い支えとなるに違いない。