阿佐ヶ谷教会 礼拝説教集 (2005年12月)   
◆2005.12.25
「天に栄光、地に平和」   
ルカ福音書2:1~20
牧師 大村  栄

 

◇クリスマスの日付は聖書に記載がないが、伝統的に今日12月25日とされてきた。昨夜のクリスマス「イブ」は、クリスマス前夜という意味ではなく「イブニング」の略。御子の降誕は夜だったようだから、クリスマスは正式には24日の晩から25日の朝にかけての祝祭と言うべきだろう。ユダヤ的な日付では日没から一日が始まる。天地創造の最初に、「夕べがあり、朝があった。第一の日である」(創世記1:5)とある通り。

◇12月25日は一年で夜が一番長い冬至の直後に当たる。日本と同じように自然崇拝的だったローマの宗教においても、冬至は「不滅の太陽の誕生日」とされていた。教皇ユリウス1世が349年にこの日をクリスマスと決定したのは、キリストの降誕を、暗さが極まったところに光が勢いを盛り返した逆転的な出来事ととらえ、そのように宣べ伝えようとしたためだろう。「夜は更け、日は近づいた」(ローマ13:12)。

◇クリスマスが紀元1年(0年ではない)に決まったことにも理由があるのだろう。歴史学者は今日の聖書の「最初の住民登録」は紀元6年に行われているから、キリストは本当は6年に生まれたと主張する。ローマによる住民登録は、ユダヤが帝国の直轄領となり、圧迫が始まったことを指している。キリニウス以降ローマから総督が派遣されてこの地の統治を行った。有名な総督はキリストの死刑判決を下したポンテオ・ピラト。総督の統治権は徐々に強まってユダヤ人を圧迫していった。それに対抗して二度の「ユダヤ戦争」と呼ばれる大規模な反乱が起こるが、ローマ皇帝の派遣する軍隊がこれを徹底的に鎮圧し、ついにイスラエルの民族共同体は消滅し、ユダヤ人は世界各地に散らばった。この「住民登録」は、現代まで続くユダヤ人の重い歴史の序章だったのだ。

◇しかしその重苦しい出来事のただ中に、天使は「民全体に与えられる大きな喜び」を告げている。闇と光の対立抗争ではなく、最初からこの闇の中に光がしっかりと輝いている。

◇中野の愛成学園は40年ほど前に設立されたが、その背後に糸賀一雄(1914-68年)という障害者福祉の先駆者と呼ばれるキリスト者の思想的影響があった。糸賀氏は「この子らを世の光に」という言葉を残した。「この子らに世の光を」ではない。本当に愛成学園の彼女たちこそ輝いていた。

◇暗い夜の内に神のみ業は始まっている。「夕べがあり、朝があった」の順序だから。クリスマスは、私たちの手の及ばない部分にも主の光がとどいていることを確信する日だ。「人みな眠りて知らぬ間にぞ、御子なるキリスト生まれたもう」(讃美歌115)。

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◆2005.12.18
「マリヤの賛歌」   
ルカ福音書1:26~56
牧師 大村  栄

◇天使ガブリエルから受胎告知を告げられたマリアの驚きはいかほどだったことか。婚約者の「ヨセフは正しい人であった」(マタイ1:19)。秩序や原則を重んじる彼がどうするかを案じたマリヤだが、もっと悩んだのは、神の子を宿すというこの重大な務めに、なぜ自分が選ばれたのかという問題だったに違いない。神はほかにも繰り返し、資格も能力もないと感じている人々に重要な課題を与えてこられた。しかしマリアとそれらの人々には、神の召しならば、神は必ずこれに必要なものを備えて下さると信じる信頼と信仰があった。

◇自分が何者であるかとか、何ができるかとかが問題なのではない。むしろ神はあえて無力な者を用いてみわざを現されるのだから。主イエスはシロアムの池で、生まれつき盲目の人をさして「神のみわざが彼に現れる(彼によって現される)ため」(ヨハネ9:3)と言われた。12月17日(土)に私は中野にある愛成学園という知的障害のある婦人たちの入所更生施設のクリスマス礼拝でお話しをさせて頂いた。大声で讃美歌が歌われ、どの顔もみんな輝いている。そんな中で、最も弱いところに光が注がれたクリスマスの清さ、美しさを語るのは大きな感動だった。

◇マリアの言葉、「わたしは主のはしためです。おことば通り、この身になりますように」は決して、確信に満ちた勇気ある発言なのではない。ただ神への素直な信頼と服従である。英語では「LET IT BE」(あるがままに)。「苦しみや迷いの中にいるときに、聖母マリアが私に現れて、知恵ある言葉を掛けてくれる、“あるがままに”と」(ポール・マッカートニー)。その「知恵」とは人間のそれではなく、「知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊」(イザヤ11:2、礼拝招詞より)である。

◇マグニフィカートと呼ばれる「マリヤの賛歌」には、社会秩序の変革を叫ぶがごときラディカルな面があるが、これは神のみわざに対する彼女の応答の歌である。ここでマリヤは自分を誇ったり、自分の業績に満足したりしているのではない。彼女が仕え、彼女を召したもう神を、その神のみわざをほめたたえているのだ。「ああうれし、わが身も主のものとなりけり。浮き世だにさながら、あまつ世の心地す。うたわでやあるべき、救われし身の幸、たたえでやあるべき、み救いのかしこさ」(讃美歌529)

◇「あるがままに(LET IT BE)」はゲッセマネの祈りを連想させる。「父よ、できることならこの杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかしわたしの願いどおりではなく、御心のままに」(マタイ26:39)。このキリストの服従の先に、人類の偉大なる救いが成就したのである。


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◆2005.12.11
「あなたはわたしの愛する子」   
マルコ福音書1:1-11
牧師 大村  栄
◇マルコ福音書はクリスマス物語を一切はぶいて、「1:神の子イエス・キリストの福音の初め」と始める。主イエスの遠縁に当たる洗礼者ヨハネは、ヨルダン川のほとりで「4:罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」を宣べ伝え、多くの民がこれを受けていた。そこへ登場した主イエスはヨハネの前にひざまずき、彼からバプテスマを受けることを望まれた。しかし、神の子が罪を悔い改める必要があったのだろうか。ヨハネも当然その疑問を持って、マタイ3:14では「それを思いとどまらせよう」とした。しかし主はあくまで一人の無名の庶民として、ヨハネからバプテスマを受けることを望まれる。

◇クリスマスに貧しい馬小屋に生まれた主は、ここでも無力な人間の一人に徹したのだ。その行動が神の御心に適い、「11:あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神の承認が与えられた。私たちにおいても洗礼とは、一人の無力な人間として神の前に恐れおののきを持ってひざまずくこと、人間的な数々の経歴や誇りも捨てて、ただの人として神の前に立つこと、もっと言えば罪人の一人として立つこと。そして私はこれから生涯神に信頼し、委ねていきますという信頼の宣言である。

◇むしろこの後に主は40日間荒れ野でサタンの誘惑にあう。私たちも受洗後にこそ様々な試練に遭うが、自分が信頼することを決断し、宣言した神が、常に最善をなして下さることを信じて平安を得ることができる。だから洗礼と試練の順序はこの通りでなくてはならない。

◇「わたしの心に適う者」は、ベツレヘム郊外で羊飼いたちに注がれた天使の讃美を連想させる。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14)。「御心に適う人」とは特別な能力や資格を持った人のことではなく、あの貧しい羊飼いたちのように、神を信頼するしか他に道はないということに気付いた人たちのことである。そのような人々によって、「地には平和」が実現する。

◇主が「御心に適う人」であることが明らかになったとき、「10:天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って」来た。ここに天国の門が開けた。天が開くのは旧約では終末の出来事とされている。神の意志によって始められたこの世界の歴史は、やがて最後には堕落が克服され、本来の神の意志が成就する。神の国が実現する。
 
◇そうやって人生と歴史の始めから終わりまで、すべてを支配する神に全身全霊を委ねるしるしとしての洗礼を、キリストと共に受け、キリストによって開かれた天国に帰る。そんな生涯をたどるのがクリスチャンなのである。

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◆2005.12.04
「まことの礼拝からまことの伝道へ」
ヨハネ福音書4:19-26
副牧師 川俣 茂
 
◇サマリアの女性との対話は、3章のニコデモとの対話と対照的に置かれているようだ。主にとって重要なのは、約束の民、神に選ばれた民に語りかけることでもあったが、すべての民に語りかけることでもあった。

◇対話は礼拝の場をめぐるものへと、展開していった。ユダヤ人とサマリアの人々との間には古来より礼拝の場をめぐる対立があった。しかし主は「場」の問題よりも、その「本質」を問題にしている。つまり、サマリアの人々は「知らないものを拝んでいる」と。ユダヤ人は「知っているものを礼拝している」が、福音書によれば、本当に知っていたかどうか疑わしい部分もある。

◇「しかし、まことの礼拝をする者たちが霊と真理をもって父を礼拝する時が来る」。礼拝の場などはいずれ問題ではなくなると。エルサレムやゲリジム山などの特定の場所に縛られた礼拝から、どこであろうが「霊と真理をもって」為すならば、それこそ「礼拝」たらしめられることになるのだ。

◇神の本質は「霊」である。神が霊的であるということは、我々の礼拝も霊的なものでなければならない。主はただ単に望ましい礼拝についてだけ語っているわけではない。何よりも礼拝に絶対的に必要なものについて語っている。神の霊が人間に示された形に於いて、その形によって神を礼拝しなければならないということになる。

◇主は我々に「まことの礼拝」を語り、求めておられる。神学校の同級生の言葉を借りれば、「まことの礼拝」の為される所には「まことの教会」が建てられ、その教会によって「まことの伝道」が為されていくのではないか。もちろんいずれも「まことの福音」に基づいていなければならない。

◇「伝道」は教会にとって重要なものである。しかしその教会が果たして「まことの礼拝」を捧げているか。礼拝や教会がしっかりしていなければ、伝道しても意味がなくなってしまう可能性がある。もちろんその為には、聖霊の助けを祈り願わずにはいられないのもまた事実である。

◇「まことの礼拝」、「まことの伝道」。それはいずれも「しなければならない」というようなものから、「せずにはいられない」ものへと変えられていくのではないか。神によってとらえられ、救いに入れられた者は、その出来事の大きさ、恵みの大きさに、「伝えずにはいられない」、「感謝せずにはいられない」状態に変えられていく。それこそ「まことの礼拝」が為され、「まことの伝道」が為されている結果ではないだろうか。

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