◇ギリシア文明の中心地アテネで、福音を語るパウロに興味を持った哲学者たちは、彼を「アレオパゴス」(評議所)へ連れていく。神から与えられた良き伝道の機会と信じて、パウロはそこに立ったが、実際はこの人々は「21:何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである」。このような動機で福音に接近する人は今も昔もいる。その時に私たちは、これぞ伝道の好機と思って真剣に受けとめる。パウロもそうした。22~31節の長い演説が彼の熱意を感じさせる。
◇「28:我らは神の中に生き、動き、存在する」、などと熱く語るが、これを聞いた者たちの反応は、「32:ある者はあざ笑い、ある者は、『…いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。33:それで、パウロはその場を立ち去った」。パウロの熱意は伝わらなかったのだ。天地創造からキリストの十字架と復活まで、キリスト教の基本を丁寧に語ったがだめだった。私たちも同様の失敗を繰り返している。なぜなのか。
◇福音信仰とは「宣言を受け入れる信仰」だからである。愛の告白は、理由や動機を説明しただけでは伝わらない。告白する者が自分の存在を掛けて語っているのが伝わり、聞く者も信頼して受け入れてこそ愛が実る。福音宣教にもそれと同様な事態が起こった時に、「伝道」が成就する。
◇パウロの熱弁は空しく終わったかに見えたが、彼が立ち去った後から、「34:彼についていって信仰に入った者も、何人かいた」。私たちのすることは失敗ばかりだが、神はそこにもなお人を備えていて下さる。だから恐れずに語ることができる。
◇ところで、パウロのこの熱意は憤りに端を発している。彼は「16:この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した」。私たちは偶像礼拝の禁止を大切にしている。しかし神ならぬものに真剣に手を合わせている人に、「憤慨」するだろうか。パウロが憤ったのも憧れのアテネで、本当の神を知らず原始的な偶像礼拝にすがる人々に対する、むしろ哀れみや悲しみだったのだろう。ラザロの死に際して、主イエスが「心に憤りを覚えた」(ヨハネ11:33)のと同様である。この憤りの底には憐れみと愛がある。
◇オウム真理教事件から10年。私たちはこの時代に、神でないものを神でないと言い切れないでいる同抱たちのために、深い悲しみと愛、そして忍耐をもって福音を宣べ伝えていきたい。真の神は言われる、「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ46:4)。
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