◇ダニエルはイスラエルからバビロンに連れ去られた捕囚の子孫だった。優れた賜物によって重用されて大臣の地位を得たが、それを妬む人々がダニエルを陥れるために、ダレイオス王に「向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる」(ダニエル書6:8)という法律を設けることを進言する。王は言われるままに署名をして、この法は「変更不可能なもの」となった。
◇ダニエルはそのことを「知っていたが、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた」(11)。彼にとっては神への祈りと礼拝が「変更不可能なもの」だったのだ。両方の「変更不可能」の対立と矛盾の中で、ダニエルは飢えたライオンの穴に投げ込まれ、石が置かれて封印がなされた。
◇「使徒信条」に名を残すポンテオ・ピラトも苦悩した。イエスへの激しい批判は人々の「ねたみのためだと分かっていた」(マルコ15:10)が、「十字架につけろ」と叫ぶ群衆に屈してバラバを釈放し、イエスに死刑判決を下す。彼にとっては民衆の圧力が「変更不可能なもの」だったのである。結局処刑は実行され、主イエスのなきがらはヨセフの墓に葬られて大きな石でふたをされた。ダニエルも飢えたライオンの穴に投げ込まれ、その穴には厳重な封印がなされた。「変更不可能なもの」による絶望的な破綻をここに見るのである。
◇しかし穴の底では、神の守りによってライオンが大人しくなり、ダニエルは翌日救い出された。そして主イエスは、今朝よみがえられた。この日はあらゆる人間的な封印が解かれる日である。「変更不可能」と諦めてしまう私たちに、キリストの復活を通して、神が新しい可能性を開いて下さった。
◇「主イエスが十字架に息たえられた時、すべては終わったかのように思われました。まさに暗黒が世を覆ったのでした。…しかし暗黒をひき裂くように朝の光が射し込む時すべてが変えられるように、週の初めの日の朝早く、墓に急いだ女性たちに、『あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ』という言葉が告げられ、新しい時が始まったのでした」(船本弘毅先生『十字架から復活の朝へ/レント・カレンダー』)。
◇「よみがえりを信ず」ということは、この「すべてが変えられる」という神による可能性を信じることだ。「もうだめだ」と心を閉ざし、「もう変わることはあり得ない」とあきらめてしまう暗闇に、新しいいのちの喜びが湧きあふれるのである。
◇幾重にも封印した洞窟を神の力によって突破したダニエルにまさって、人間の最後的な限界であった死をも克服された復活の主イエス・キリスト。ここに実現した神のみわざを、私たちのいのちの根幹に関わる恵みの出来事として深く心に刻みたい。