◇アドヴェントに先立つこの時期は「契約節」。終わりに完成があるとの神の約束を信じ、クリスマスをそのしるしと信じる信仰の季節だ。そういう約束に生きた人の一人がモーセである。
◇モーセはユダヤ人でありながらエジプトの王宮に育ち、やがて自分の出自を知って野にさまよう時、神の召しを受ける。彼はかたくなに固辞するが神は「わたしは必ずあなたと共にいる」と言って励まし、彼の杖をへびに変えてそのことのしるしとする。しかしさらに自分は言葉の人ではないと躊躇するモーセに神は怒りを発する。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか」(4:11)。自分を見るなら、自分を造られた神を見るべき。自分を否定する者は神を否定するのである。
◇18以下でモーセはついに重い腰を挙げ、うめき苦しむ同胞ヘブライ人を解放するためにエジプトへ出発する。そのとき「20:モーセは、妻子をろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った」。これは神が「共にいる」という約束のしるしとした杖である。見たところはただの羊飼いの杖だが、これに象徴される神の約束は偉大だ。モーセはこの約束だけを頼りにして、すなわち神の言葉に服従して出発したのである。
◇契約節はそういう神の約束の言葉を信じて生きた人々を覚え、私たちも約束を信じる志を高める季節である。モーセより200年くらい後の士師ギデオンも覚えたい。彼は32,000人の兵をわずか300人に減らされるが勝利を得る。無から世界を創造された神の力がここに発揮されたのである。
◇この記事について今年で生誕100年になる神学者D・ボンヘッファーの語った言葉がある。「(神は)ギデオンよ、あなたと共にいる民はあまりにも多いと笑いたもう。神は…武装解除すなわち信仰を要求したもう。…ギデオンは信じ服従する。兵が一人一人彼のところを去っていくにつれて、彼を笑いたもう神に対する信仰が成長していく。そして軍隊がついにごくわずかな残りの者となっていったとき、勝利が彼の手に与えられたのだ」。ボンヘッファーはナチスに対する抵抗運動に加わった。1939年に米国に渡ったがすぐに帰国し、ヒトラー暗殺計画に参加して逮捕、39才で処刑される。彼に戦乱の祖国への帰国を決断させたのも神の言葉だった。(ローズンゲンの聖句・テモテ4:21「冬になる前にぜひ来てください」が彼の運命を変えた)。
◇モーセは杖だけを頼りに出発した。この杖にこめられる神の言葉と約束を信じ、それ以外のものを放棄して、人間的には何の保証も自信もないまま、家族をろばに乗せてエジプトへ出発した。主イエスも弟子たちを宣教に遣わすに当たって「杖一本のほか何も持つな」と言われた(マルコ6:8)。「武装解除すなわち信仰」を要求する神の招きに応えよう。
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