2005年10月信友会例会より

1016日の月例会では、阿佐ヶ谷教会伝道師の川俣茂先生より「中国に於けるキリスト教」と題し、中国に於ける教会の歴史と最近の動向など興味のあるお話を伺いました。また以下の原稿も当日お話しの内容をまとめたものとして川俣先生からいただいたものです。


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中国に於けるキリスト教    阿佐ヶ谷教会 伝道師   川俣 茂
<目次>

1.中国に於けるキリスト教−過去
   ・1839年以前
   ・1840年〜1899年
   ・1900年〜1949年
   ・1950年以降
2.中国に於けるキリスト教−現在
3.中国に於けるキリスト教−未来

1.中国に於けるキリスト教−過去
 
○1839年以前
   8世紀頃、異端的であるネストリウス派(景教)が流行した記録が残っている。カトリック自体は元代に、フランシスコ会のジョヴァンニ・モンテ・コルヴィーノがもたらしたが、本格的には16世紀、イエズス会の伝道による。1583年にマテオ・リッチが広東に、次いで北京入りしたが、当時は鎖国的政策実施中であり、西洋の学問(天文学・暦学などの自然科学的なもの)を教え、宣教師としてではなく、「科学者」的存在であった。イエズス会は典礼を中国語で行い、孔子崇拝・先祖崇拝を容認したことにより、他の修道会との対立を招来した。プロテスタントは1807年、ロバート・モリソンがロンドン伝道会の支援で広東に来たことに始まる。彼は多くの時間を聖書の漢訳といった文書伝道に力を注いだ。

 ○1840年〜1899年
 
  アヘン戦争(1840−1842)をはじめとする列強との争いは、中国の門戸を西洋に開く結果となったが、事実上キリスト教伝道の自由が認められたことになる。これによって宣教師数・教会数の大幅な増加、そして信徒数の増加をもたらした。しかし中国の門戸は列強の圧力によって半ば強制的に開かせられたが、中国人の心が西洋の思想や宗教に対して開かれたわけではなかった。「教案」という反キリスト教運動は列強によって外交問題化されたことなどにより、後に「西洋帝国主義の中国への侵入」という形で一まとめにされてしまう。しかしこの時期は同時に、日本行き宣教師が開国待ちで中国に於いて伝道していたが、漢字文化圏の文化を吸収し、日本伝道に備えたことに注目しておきたい。

 ○1900年〜1949年
 
  1900年、義和団事件が勃発、宣教師や信徒が多数殺害された。しかし、辛亥革命(1911年)による知的環境の変化によって、教会は成長を遂げた。1922年に上海で行われた第5回基督教全国大会に於いて、中華基督教協進会(NCC)が成立し、1927年には7つの教派が合同して中華基督教会が成立。「中国の教会」の形成、完全に「自治・自養・自伝」を達成することを目指していた。これは後の「三自愛国運動」につながっていく。

○1950年以降
 
 1949年10月1日、中華人民共和国成立。これに伴い1950年4月、「中国基督教会宣言」が出された。この宣言では、一つには「中国に於ける教会は帝国主義と訣別すること」、つまり教会の中の帝国主義の象徴である宣教師の追放を主張し、今ひとつは「中国に於ける教会は完全な自立を達成するよう努力し、新中国を建設する任務にあずかるよう努力すること」、つまり政府の指導の下にということになる。これにより、カトリックはヴァティカンとの関係を絶ち、プロテスタントは1950年、「三自(自治・自養・自伝)愛国運動」を発足させ、1954年に公認された。 1966年からの文化大革命の嵐に教会も巻き込まれ、事実上、活動停止状態となった。この間、秘かに礼拝を捧げていた家庭集会が「家の教会」の起源である。文革収束以後は、改革開放政策により、教会も復権し、現在に至っている。

2.中国に於けるキリスト教−現在
 
 1982年、「中華人民共和国憲法」が全面的に改正された際、信教については第36条に次のように規定されている。
「中華人民共和国の国民は、信教の自由を有する。いかなる国家機関・社会団体または個人も、国民に宗教の信仰または宗教の不信仰を強制してはならず、宗教を信仰する国民と宗教を信仰しない国民を差別してはならない。国家は、正常な宗教活動を保護する。いかなる人も、宗教を利用して社会秩序を破壊し、国民の身体・健康を損ない、国家の教育制度を妨害するなどの活動を行うことはできない。宗教団体と宗教事務は、外国の勢力による支配を受けない。」
 それと同時に、中国政府は中国国内にいる外国人の宗教信仰の自由と正常な宗教活動を尊重し、その保護を重視している。中国の国内にいる外国人は自らの宗教信仰に基づき、法によって登録した寺院、宮観、モスク、教会で宗教活動に参加することができる。しかし、あくまで「法によって登録した寺院、宮観、モスク、教会」に於いてであり、この点からしても国家統制の下にあることは言うまでもない。
  しかしなぜ「大流行」しているのか。中国共産党の権威が弱まり、人々は新たな心の支えを求め、教会へと集まっているという指摘がある。中国政府は、あらゆる宗教を潜在的な反政府勢力とみなし、警戒を強めている。キリスト教の場合、中国では国家公認の教会にしか伝道を認めておらず、公認を受けずに伝道すると違法となる。 しかし、ケ小平による改革開放政策で宗教に対する締め付けもやや緩くなった1980年代以降、信者や聖職者の自宅で集会を行う「家の教会」と呼ばれる非公認の教会が急増。国内に伝道者は約2万人、教会は約1万2000余カ所、キリスト教徒の数はそれまでの約400万人から、現在では政府の見積もりで1600万人前後と、信者数の把握も難しい状況下で増え続けている。こうした中、政府は犯罪取り締まり強化策の一環として「家の教会」への弾圧を強めているのもまた事実である。この「家の教会」は、過酷な弾圧が続いた文化大革命の時代には限られた信者のみを対象にした完全秘密の教会だったが、現在では口コミで教会を知った、国家公認の教会には行かない人を受け入れるようになり、信者が増えた。キリスト教が人気を集める理由は、都市と農村で異なる部分がある。教育水準が高い都市の人々にとって、かつては共産主義が理想だったが、ソ連崩壊後に夢は破れ、中国は拝金主義の社会となり、新たな心の支えを求めるようになった。殺伐とした中国の大都会で生きている人々にとって、キリスト教関係者に特有の柔らかな笑顔に出会うとほっとするという話を聴いたことがある。一方、農村では共産党の影響力低下に加え、洪水や地震など災害が相次いでいることを、共産党の時代が終わり混乱が訪れる兆候と信じる人々が増えている。中国は王朝の交代期に天変地異が増える歴史を繰り返してきただけに、人々の不安は大きく、共産党の地方幹部でさえ入信するような現実がある。 なお、凌星光(福井県立大学教授)の「共産党員とキリスト教徒の比較」という指摘(『中国経済の離陸』サイマル出版会、1988)は大変に興味深いものがある。

3.中国に於けるキリスト教−未来
先にも指摘したが、マルクス主義に於いては「宗教は阿片」と言われるように、共産党政権はあらゆる宗教を潜在的な反政府勢力とみなしている。近来では法輪功摘発に代表されるように、この問題に対して非常に神経を尖らせている。しかしその一方で、2008年開催予定の北京オリンピックに向けて、アメリカをはじめとする国々によって、政府による宗教抑圧を人権問題化されている。このディレンマをどのように考え、どのように対処していくのか。「中国政府は宗教団体に対しより多くの自由を認め、当局の権限を制限することを明らかにし、宗教政策に「変革」を進めていると語った。新政策は中国の宗教政策のパラダイム・シフト(理念的大変革)だと言う。ただワシントンに本拠を置く『宗教と政策研究所』のジョセフ・グリーボスキー所長は「人々が何でも欲するものを自由に信じることができるとは、中国政府がいつも言うことだ。信仰とそれを表明することの区別は政府次第だ」と語った」(「世界キリスト教情報」2004年11月29日(月)より)。「中国は無神論の復活を指示」との報道もあり、楽観はできない。今ひとつは台湾との関係である。共産党政権と台湾では野党である国民党との関係が以前に比べ、友好的になっている現状がある。しかしこれはあくまでも経済的なことが背景にあるわけであって、宗教がどのようになっていくかはまったく不透明である。大陸の台湾との関係の推移を見つつ、台湾の長老教会の動向にも注目したい。

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