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1.教会と社会との乖離 寺島 章(信友会)
(1)教会と社会との関係
教会は信者の学びの場、同時に伝道の拠点。
伝道とは、個人の集合体である社会への働きかけをすること。
伝道は、かつて熱心な他宗教信者が存在した中で始められた。
伝道者は、自らを社会の中に入り込ませることでその目的を果たすよう務めてきた。
(2)現代における教会と社会との関係
教会と社会とはかけ離れていないか。
教会内に閉じこもっていることで満ち足りているのではないか。
教会の社会的活動は、その範囲がほとんどキリスト教的社会内に限定されている場合が多い。
教会は社会の中における自分の位置づけと、スタンスをはっきりと表明していない。特に社会的な問 題が起き、反応すべきときにも曖昧な態度を取ることが多い。
社会の中では隠れキリシタンのようだ。何を恐れ、何を失うからか。
(3)これからのあり方
キリスト教の伝道は常に「活動」の接頭語である。
信者と信者以外の人々の交わりの場も設けることも必要ではないか。
教会と社会との接点を増やそう。
教会への入口は広いほど良い。
社会的な問題を、まず教会内で開かれた議論をするべき。
結論を求める必要はない。自分のスタンスを確認しよう。
2.教会は“戦い”の前線基地であるべきだ 武田 励(地の塩会)
(1)現代はなぜ、生活に占める宗教の割合が低下したのか
科学・技術の進化と産業の発展で、かつて実現困難なことが短時間で容易に実現できるようになったこと。
この世の自己の欲求・欲望を満たすことのできる範囲や規模が拡大されたこと。
自己の欲望が主となり、欲望に振り回されている現代人。
本来の自己の“生”の意義を考える機会を失いつつある。
神を主とすることの大切さをどう説いていくべきかを追求しよう。
(2)日本人とキリスト教
日本人のキリスト教へのイメージは、「西洋文明の象徴」「アメリカの建国の精神の土台」といったプラスのイメージ。ただし、近年のアメリカの行動は、日本人(のみならず全世界)のキリスト教に対するイメージを損ねている。
ヨーロッパではキリスト教信者は減少傾向にあり、アメリカでは曲解されたキリスト教の勢力が拡大しつつある。こうした傾向が日本にも影響する恐れがある。
キリスト教系教育機関の、キリスト教精神の形骸化の恐れ。 明治初期から太平洋戦争終了後の日本にあっては、特に教育・文化・憲法などにおいてキリスト教は(問題もあったにせよ)大きな役割を果たした。
現代、日本のキリスト教は、単なる西欧文明の一端の知識として、つまみ食いの対象になっているのではないか。
(3)伝道の課題
神が「聖書」を通して私たちに何を伝えておられるのかを謙虚に理解すること。
4000年も前に書かれた神の言葉であるが、その教えは十分に今日にも通じている。背景となっている国家体制や社会情勢が違うだけ。
「聖書」を、自分に都合の良いように解釈してはならない。自分を主とするのではなく、主なる神は唯一であること。偶像ではなく、ユダヤの民族が信じ続けてきた神は、私たちの肉体と精神の中に共にいましたもう人格的な関わりをもつ。ここが、他の宗教との根本的な違いである。
(4)教会の役割
教会は“戦い”の前線基地であるべきだ。
サタン、すなわち神でないものを神とする思想や理論との戦い。武力崇拝者、金銭至上主義者、敗者や弱者を顧みない利己主義者をサタンという。
かつて権力によって抑圧された中世の封建主義から解放され、人間性の復活を叫んだヒューマニズム思想の原点には、プロテスタントの理念があった。 ここでの“戦い”とは、伝道であり、教育である。
教会とは、神のメッセージを真摯に受け取り、信仰の喜びを発信する前線基地であるべきだ。教会は時代の潮流を的確に捉え、本来の役割を見直し、真に神のメッセージを伝えていく存在であるべきである。
【分団協議と中野実先生のコメント】
Tグループ
・教会員は社会的発言についてはっきりと意見を言うべきである。具体的問題で必ずしも意見が一致するとは限らないが、最小限一致できる意見は述べるべき。
・21世紀の人間を相手に伝道すべきで、教会として工夫すべき点があるのでは。
・教会が社会から隔離されていることは問題。仲良しクラブになっていないか反省するべき。他の宗教の動き(伸びているイスラム教)を勉強し、学ぶべき所は学ぶ。
阿佐ヶ谷教会がどのように社会とかかわるのか。
・古くて新しいテーマ。教会として社会に何かをする、意見をまとめるのは難しい。献金を捧げる。教会は闘いに出て行く人を強める場所。私だけがほっとするのではなく、次に続く人・闘える人を増やす。信仰の継承、若い人を育てる。
【大村栄 先生】
・一人一人が社会とどうかかわるか、教会はそれをバックアップする。エネルギーを養い、傷を治すところ。「招集と派遣」。
・歴史的な存在としての教会、歴史の見張り役としての教会。
Uグループ
・聖書の時代と現代とで、教会・信仰と社会の関係に変わりはないのではな
かろうか。クリスチャンは旗幟鮮明を心がけ、社会にもっと打って出る必要がある。
・聖書の書かれた時代を無視して、字句通り現代社会に適用するのは無理がある。聖書に書かれたメッセージの本質を読み取ることが必要である。
・教会で社会問題に付いて統一的な結論を求めるのではなく、議論の過程で多様な見方を知る機会がある事が大切である。しかし実際の教会内には話し合いを恐れる雰囲気が感じられる。議論が人格的対立になってしまうべきではない。
教会の開かれた議論を通して、教会外の方も教会の話し合いの交わりに加われるようになればよい。現代の我々は、教会と社会という風に対立関係で考えるだけではなく、教会は来るべき社会を現す、と考える事も出来る。マタイ福音書11章には洗礼者ヨハネの弟子に主イエスが「観た事を話しなさい」と告げる箇所がある。そこでは地の民が救われていたのである。そこに教会のあり方のヒントがある。
・「教会の中に社会が実現する」ということは、本来目指すべき事であるが、これは神様だけが実現されることでもある。私達は教勢に一喜一憂せず、主の統べる永い歴史の中で、終わりの日に主が全てを裁かれることを信じることが大切である。
Vグループ
・今回のテーマについて、言葉は同じでも、順番が逆になると全く違う議論になりそうである。
「教会と社会」 自分達(教会)から見た社会 信徒や献金を増やしたいなど、自分達中心の(?)考えとなりそう?
「社会と教会」 社会において教会がどうあるべきか...外に目を向けた意見が広がるかも?
・社会委員会でもっと政治のテーマを扱い、深く研究・勉強する場であってほしい。
◆中野実先生のコメント
社会の捉え方も世代では違うし、今の若い世代の方が社会が見えずらく、理解しにくくなっているのではないだろうか。多くある教会の中で、社会委員会があるのは珍しく、とてもいい事であるし、教会独自のやり方を考えていくのは重要である。このテーマではいろいろな話ができ、面白い展開となる。
突き詰めていけば、結局は自分達が教会に何の為に導かれているのか、根本問題について考えさせられるであろう。
以 上
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